電話が私を呼んでいるそうだ。暮れの押し迫ったころ、午後だったか。我が店をラジオ取材に訪れたいという。新潟にキー局のあるFM-PORTの女性ナビゲーター仮谷氏からの依頼である。
2001年秋に我が新潟店を開店して以来、今では車中でラジオを良く聴いていた。大体が国営放送と言われるNHKが主にメインであったが、番組が耳にあわないと・・・ある日新しいFM局を見つける。
もちろんFM放送はNHKもあるし、民間では先発の局ある。しかしはじめて聴いたこの局の放送は私のそれまでの概念をさらりと取り払っている。
民間放送でありながらコマーシャル放送が無いと感じるくらいコレが少ない。
音楽が多い、それも夜の時間帯のせいか会話もある。田園と途切れがちの町を縦断するR403号を走りながら、この局が定番放送になるのに時間はかからなかった。
とりわけ午後8時からの「PEOPLE」という番組が気にはなっていた。週5日、毎回30分、市井の人々がナビゲータという進行者と対談に近い会話をする。
市井というだけあって、県内では知らない人が数少ない人から、まったく日が当たらないと一般的に思われている人・・・そういうランダムなゲストが出演し、わが身では知りえない話が良く聴ける。
いわばヒューマニズム溢れる局と感じていた。
長くなったが、そこの局からの取材依頼である。テーマはアジアンティストのお惣菜探しという。果たしてわが店舗にあるだろうかと受話器を肩にショーケースを眺めた。
あった。サラダチャーシューが。それにキムチサラダだって。
ある意味、我が店は無国籍惣菜を販売しているのだろうかと電話でしゃべりながら気にはなった。
が、刈谷氏は訪問日時を即作決め来店を待った。仕事柄元気むき出しの若い素敵なナビゲータであった。店頭でイヤフォウンをあてがわれ、スタジオのメインナビゲータと彼女のやり取りの間にいろいろ問われたり応えたり数分であった。
彼女は私が用意しておいたアジアエンテイスト風オリジナル食品を仕事柄とはいえ、慎ましやかにバリバリ食しては感想を報告している。
社交辞令もあろうが思いのほかおいしそうに食している。やはり美味しさと売れると言うのは半比例なんだなと私はまた思いはじめる。
感動とはいえないまでも仮谷氏は気持ちよく仕事を終えたようだ。この不況時に無償の宣伝に感謝、
それと各商品の反応が聴きたくてお土産用試食の数々を渡すのを私は忘れた。
これが最終的に看板番組「PEOPLE」出演のキッカケだったのである。
その指定された日は年も明けて1月24日(金)午後1時、送迎の車は無い。
新しくナビゲーターも替り、前任者の女性から男性に代わっている。
名は阿部 聡氏という県内メジャーなタウン雑誌編集局長がその人である。
芝居もするくらいだから声のハリもあって、ラジオを通してどこか骨っぽいところが時折見え隠れする。
シンドイ話は苦手な私はこの日をそれなりに待ちわびていたかもしれない。
事前に送られてきていた番組概要のコンセプト・ゲスト履歴・自己プロフィール書き込みなどが少なからず場違いなところに向かっていると感じたが、
それよりも感じていることが遅いと言うことに気付いた。
語るべき賞も特技も無く、強いてあげれば富栄養化した泥沼から発生するメタンガスの泡みたいに折々家族や周りの人々を舞わせたことぐらいしかない。
もちろん覚悟と言うほどではないが、今まで何度かメディア体験したことが救いであった。
しかし今回はギャラ付、むしろこっちがまったくその多寡に関係なく気を引き締めたのである。
1円でも貰わなければ私の勝手であるが、いただく以上カネに弱い私は己の徒手空拳を後悔しそうになった。
とどのつまり、我が精鋭部隊を弾丸にかえて最終兵器とする。百人力である。
約束前日製作スタッフから長時間だから楽ないでたちでというメールを受信。いつもはネクタイを締めて上着を羽織っているが、ではノーネクタイでいつもの帽子とで出発した。
今や市内ド真ん中となった十字路に風変わりを思わせる建築デザイナーがデザインしたと思われる中高層ビルの3階に局はある。
かって1階では大好きなエチゴビールの小さなプラント風設備&ドリンクバーがあったが、
今は泡さえ見つけることが出来ない。バブルは破裂し屋根まで飛んだのだ。
エレベータで3階に降り、屈折した明るい廊下を歩き、正面の両開きの曇りガラスのドアを片方だけ開けた。メディア業界を象徴する華やかさがやはりある。
手を動かしていないと暇そうに見えるのだがスタッフはこまごま動いている。無関心である。
名を名乗る。すぐに笑顔の若い女性が寄ってくる。仮谷氏の明るい笑顔も見える。ダブル笑顔である。人生そうそうあることではない。
ゲストパーティションに案内され最初の彼女と挨拶を交わす。製作スタッフ・・・加藤・岩橋氏さすが立ち居振る舞いも、与えられてない服装で興味深そうな顔を向けて今日の進行状況について話してくれる。悪意の無い、なみなみ注がれたお茶をヘマしないように用心深く飲みながら聴いた。
そういえば今日のランチを食べてないことに気付いたが、ここへ来るに当たり、あまりに時間は短かった。打ち合わせのテーブルに弾丸を配列しおえ、流す音楽の選定に取り掛かる。
気楽な格好とともに自前のCDがあるようなら持参してくださいとあったのだ。核弾頭かも・・・。
局ライブラリィに音楽CDの絶対量が不足しているとはちっとも思わないよう努力していた。
これなりにこの局がたいへん好感がもてる故であろう。
セレクションは日ごろ我が店舗で背景音楽として流していたものを選んできた。
クリス・レア、サラ・ブライトマン、エニグマ、A・ボチェッエリ、他に局のライブラリィからエンヤなど数曲などからオーダーした。
聴き様によってはかなり支離滅裂風選曲であろう。規則正しくない我が人生のようであろう。
犬の話や野外活動の話など余計な話をその若い製作スタッフと話している頃スタンバイがかかる。
案内されたスタジオでナビゲーター阿部氏と挨拶を交わす。車の運転以外すわり心地のイイ椅子に座る機会が極めて少ない私は背もたれを斜めにしたままでいたのを製作の岩橋氏に見られた。
阿部氏もやはり無駄のない動きをしているように見える。
スタッフから渡された私の資料を見るとはなしに見て、彼の新聞記者時代で加茂で仕事をした頃の話をした。編集局長・役者とコレ。時間の豊富そうでない彼はこの番組進行は大体が当日打ち合わせなのだろう。
したがって活字内容のない私の資料などさしたるものでもないだろう。スッタフが私の磨き揚げて用意した弾丸をマイクロフォウンが下がっているテーブルに並べてくれる。
無言で私は並べられる様子と阿部氏の目線を交互に見た。いつもラジオで流れる声は仕事柄もあろうが食に関する情報は飽食の時代に少し背を向けながらも確かな味を求めているように感じていた。
ヘッドフォウンを左右間違いなく装着。
ガラス張りの隣の部屋からこれまた若い女性が語りかけるように話しかけた。
本日は晴天なりとは今の時代いわないのだ。テーブルに日ごろ見慣れたPCのCRTが見ても判らない画像をみせていたし、右手先には薄いデッキがあるがこれも意味がわからなかった。いつもの番組の冒頭の曲がヘッドフォウンから流れてきた。始まった。緊張。
阿部氏のプロ意識が俄然発揮される。静と動である。もちろん弾丸を口にいれては私に聞いてくる。非売の生はむ・ろうすはむ・肉団子・レバーフライ・メンチカツなど、彼の反応を大いに私は楽しんだ。話は常に食い物の話やイヌの話に逸れ、そのたびに阿部氏は笑いながら許してくれたようでああった。
休憩を挟み4時間弱。話し足りない気分ながら無事終えたようである。
背の窓の半開きのシェードの下から外を覗いたら小雪が舞っている。
非日常から日常に戻った瞬間であった。