新潟県白根市の大凧合戦

白根大凧合戦の由来は

 中ノ口川は16世紀末に掘られた川で、度々はんらんして人々を苦しめました。代代の村長は、堤防の改修に力を注ぎました。川を挟み対峙するする東白根・西白根は治水を巡り争いが絶えることは有りませんでした。元禄年間から40余年に及ぶ堤防の改修工事が、元文2年(1737年)5月に竣工。その頃領主の溝口家では、男児出産の祝い事があり、東白根の里正、神山忠兵衛は新発田城に招かれました。城内には30枚張りの凧が飾られていて、忠兵衛はそれを拝領して白根に帰り、若者に手伝わせて堤上で揚げました。凧は対岸の農夫の又右衛門の屋根に墜落して、損傷を与えました。西白根は村上藩、東白根は新発田藩です。両地は日ごろから激しく対立し、特に又右衛門は治水のことで東白根に深い怨みを持つ人でした。早速まけるものかと大凧を作り、忠兵衛の屋根をめがけてたたきつけたから、凧合戦が起こったと伝えられています。また一説に両岸から子供の凧が絡み合い、いさかいとなりました。それを機に大人が合戦を挑んだとか・・?

 

 

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