■10/26
2ヶ月ぶりの病院通い。 
いつものように喉の触診と鼻の穴から 
マイクロスコープ入れて元患部の観察。 
異常なし。 
終了後、かって入院した時に世話になった 
ナースたちにいつものように挨拶行く。 
ナースルーム、居た! 
担当ナースと半年振りに対面。 
私の顔を見るや、目が点状態。 
おおいに喜んでくれる。 
私はナースらがしっかり職務を遂行してるか 
観察に来たと告げる。 
ニヤニヤと。 
ドクターはともかく、ナースらは顔に正直に表れる。 
かっての診断書からは想像できない私がここにいるから〔笑) 
また顔を出してねと云われたから 
次回は入院のためかも・・・だぞって(爆) 

■10/28
明日は紅葉まっ只中へ550kmロングドライブ。 
玉川温泉へ3泊4日のリョーヨウ。 
昨年秋から3回目になる。 
今回は私のかっての保護者、 
それに保護者の親友でもある私のガールフレンドの3人(笑) 
現地確認次第で焼山登山を試みる予定だが・・・ 
キノコがあったらどうしようなどと 
獲らぬ狸を皮算用して・・・(爆) 

行きがけに福島市某デパートで開催されている 
写真家故星野道夫展を観ようと思う。 
昨年秋は牛に曳かれて岩合氏の作品を観たから、 
これで2人目。 
自らの感性を研く努力をするのなら 
観ないほうがいいが、 
前者は特に冒険家故植村直巳に似ると思っているので 
後者よりマダマシかも。 
今やすっかりノンプロ写真家になった気でいる 
私が居た。 

■10/31 
逗留の始まった日から毎日、館内放送で熊目撃で注意せよと、 
玉川温泉一帯の中の具体的地名と目撃時間を挙げてアナウンス。 
勘ぐると脅しだ。 
緩やかな等高線が示す御生掛からの登山をもくろんでいたが、 
玉川温泉からそこへ出向くバス運行時間が遅すぎること。 
秋の一日は短いし、初めての山、ガスったらアウト。 
こうして焼山登山は断念せざるを得ない条件がそろう。 
しかしここで諦められないほど、 
東北特有の山々は素朴で美しく艶やかに私を誘う。 
前夜装備万端整え、朝食後スタート。 
家人であったら止めるだろうが、連れの御老体たちでは察しも出来ない。 
アナウンスのひとつでは登山口300mのところで熊目撃とのこと。 
前日だ。 
今日も居るほど熊は暇でないはず・・案の定居ない(汗) 
出会う想定の元、出会いたくないから、防犯ブザーを1分おきに鳴らし、
一風火矢は見通しの悪い狭まった登山道の先をめがけて発射する。 
繰り返しである。 
もちろん人気はまったくなく、降りてくる人、 
追い越す人など居ない。 
わずか過去に登った足跡が安堵感を与えてくれる。 
等高線を垂直にあがるせいで、登りはきつい。 
20数年前、越後の平ガ岳(H2000up)の登山道を登って以来のことである。
忌々しい登山道である。 
8合目くらいまでなかなか視野が開けず、 
覆いかぶさるように両サイドに迫る熊笹藪の登山道は、 
気味が良くない。 
耳はいいほうだから、時折耳を澄ます。 
コレが良くない想像となることに気づかないか、 
これは用心か、果たして(笑)?! 
思い切りブザーを長く鳴らす。 
電池消耗を考え、両の手をたたくこともしばし。 
8合目あたりを抜けると 
噴煙が行く筋も見える大きな斜面にでる。 
1977年が新しい噴火。 
pH濃度も低いから草木は無く、急なガレ場となす。
120度くらいに開けた視野で見下ろすことが出来、 
その眼下に玉川温泉が見える。 
火口湖はまだこの上の先である。 
黄色く且つ白い石ころのこのガレ場をトラバースする。 
太い鉄くいが打っているだけでロープも無い。 
いいことである。 
やたら山に安全を求めたら、 
山への冒涜なのかもしれないとオーバーに思うようにしている。
またこうして思う努力も伝えたいものである。 
幅30cnもない踏み跡は水平でなく、 
高所恐怖症にとって肝が冷えるときでもある。 
滑落ははるかかなた「叫沢(さけびさわ)」という、 
ガスで死亡事故の多々ある沢に一気にスライドできる。 
天空は青空、 
いつもこういうときワーグナーのワルキューレの騎行が浮かんでくる。 
今や声を発することが出来ず、頭の中で鳴る。 
滑る恐怖心は疲れを忘れさせ、からくも頂上に着いた。 
音の無い、いや風の鳴る音。 
それにカラスが1羽居た。 
目線の高さで風に舞うように飛翔を見せびらかす。 
それは漆黒でなく尾羽と翼の縁が瑠璃色を溶け込ませている。 
美しい。悠然と飛ぶさまは神々しくも見える。 
火口湖の上を飛んでいるときのコントラストはカラスに何かを教えられた気がした。 
そうだキャツキルの鷲だ。深い深い谷間を住処とする鷲。 
高さを誇る飛翔より、実質はるか高いというそれだ。 
その対極にこのカラスは今居る。 
向かい風にのるせいか、 
時々羽を安めにガレ場の大きな岩に乗る。 
見ない振りしてみていると、羽をついばんでいる。 
神でなくて良かった。 
遠く反対眼下に御生掛温泉の蒸気墳が幾筋も見える。 
平日昼前、誰一人居らず焼山に我在り。 
対面の稜線から下まで眺めては熊を探す。 
やはり人里へ出払っていないという私の説は 
あながち間違いないように思う。 
水をペットボトルから呑み、 
不吉の象徴の愛すべきカラスに別れを告げ下山を始める。 
ようやくその途中、スニーカーに杖をついた中高年に出会う。 
装備も無く、熊を恐れもしない中高年がそこに居る。 
高度成長を支えてきた兵(つわもの)。 
しゃべれないのでこういう時はメリットだ。 
軽く目礼して下山。 
上る途中見つけておいたナメコを回収。 
ムキタケ・クリタケと、 
小さな鍋にいい按配のキノコ汁用土産だ。 
老婆2人の喜ぶ姿を思い、往復4時間の山旅は無事終わる。 

 

■11/09
門前の小僧の成れの果てでしょう。 
15年前突如、今の仕事をすることになり 
それまでの見聞きしたことを形にして今が在ります。 

おととい、仲間の一人が北海道からまたエゾシカが 
届いたということで、喰えるように処理依頼される。 
米や蕎麦畑の相棒だし、なんたって我がアマゾネス等の 
貴重な生肉&ボーン(ご馳走)となるわけである。 
私は技術者でないので、冒頭に書いたように 
何十年来と作業場を覗いていたので見よう見まねで、 
骨スキという鋭い三角ナイフで脱骨。 
一種の解剖ですナァ。 
一応あっという間に解体作業は 
終わり、昨晩からアマゾネス等はクズ肉や 
骨のご馳走で大喜びでした。 
ラム肉と同様、脂肪分の融点がヒトの口中温度より 
高いので冷めると、脂肪粒子がザラザラ。 
熱いうちならジンギスカンと同じです。 
コレステロールも上記のように 
消化しない分排出されます。ヘルシーな肉なのかもネ。 
でも牛・豚のあのとろける美味さが選ばれているようです。 
エゾシカと天然ナメコの鍋仕立て(3年前) 
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■11/13
沈殿挽回 遠征するに遅い時間に目覚めた。 
と、言うより恒例の朝風呂から二度寝を 
本気で実施。 
10時には今日の予定を夢の中で決めていた。 
魔性・魔界・魔の山とここ数年来、 
虜にされた領域から離れられなくて、 
朝日S林道と同じ頃入山していた室谷最奥への 
想いが湧き上がったからかもしれない。 
案の定、常浪川に折れたら御神楽・日尊之倉の 
頭頂部には冠雪が観れた。 
遅いスタートでアマゾネ等も同行せず、 
ロシナンテも留守番。 
かわって夜叉号でちょいと気が引けたが 
林道を走り出したら矢も盾もたまらず 
林道最高到達点に居た。 
恐るべし夜叉号! 
積雪15cm、標高は1300m。 
平日、もちろん人気無く、霙混じりのなか 
かっては庭みたいに感じてたブナ原生林を俯瞰した。 
考えてみたら、このように落葉した時期は初めてだったかも。 
加齢とともにこの谷の怖さが、俯瞰してわかった。 

■11/19
先週のリベンジになろうか・・・ 
大荒れの天気で魔の山目前で回帰。 
今朝は初霜の中、窓の氷が解けるのを待ってスタート。 
放射冷却(快晴)でガスがもやる中、 
険しい林道に先行車の跡があった。 
今の時期、誰だ??って自分のことはさておいて(爆) 

すれ違い出来ないダートな積雪15cm林道。 
スタッドレスのロシナンテでさえ冷や汗なのに 
後進で降りて来たFFのシエンタとあやうく逆オカマ 
されそうになった。 
寸前でこれを拒絶。 
まさか心中しにきたんでなかろうかと 
シエンタを運転席を覗いた。 
死ぬにはまだ早い若者だ。 
早い決断が結果良かったのだろう。 

さすが鞍部直前でロシナンテから降り、 
アマゾネすらと表面の凍った雪道を延々と登った。 
途中、チョーレアーなクマの足跡。 
もちろんippuu火矢と防犯ブザーで威嚇(爆) 
その快晴の中、鞍部を越え以東岳を臨めるところに来たら、 
魔の山のブナの大原生林は真っ白な雲の下であった。 
このルートを発見して2年来。 
相変わらず感動を与えてくれる魔の山である。 
積雪も20cmくらいになり、 
朝が早いから表面が凍って歩きやすい。 
もちろん皮算用のナメコは数粒しか(汗) 
それでもこの風光には声が出なかった(爆汗) 
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■11/25
自由孤独 

突然、思い出したフレーズというかタイトル。 
9時からの寅さんを観ようと待機中に、 
オリンパス・デジレフのスポンサープログラムの中だった。 
野口 建が出ていた。 
個人的に偉いと感じてる若手。 
なるほど・・・彼のなんだったかの話を 
TVの中で聞いてたらこのタイトルが 
浮かんできた。 
自由と孤独は常にセットだ。 
生理食塩水みたいに、 
違和感なくいつもこの体にたたえているような気がする。 
明日早朝もいまだこの時間になっても 
どこへ行くか家人等に言ってない。 
書置きボードに行き先書いて、寝床に置いて 
出かける自由。 
多いに謳歌しよう! 

■12/11
原影越前 
約30年ぶりの永平寺。 
モノクロでしか原影は残っておらず、 
総天然色の今は失望に近い感じが残った。 
しかし禅寺としての矜持は連綿と受け継がれており 
青い頭の修行僧の立ち居振る舞いは、 
日常私のの所作の対極に位置して見事である(笑) 
気になったのは修行僧の眼鏡。 
光モノフレーム着用は無し。 
黒一色なのだが 
フレーム自体一本一本デザインが違い、 
決して安く買えないシロモノと思った。 
儚い主張。いいことである。 

 

■01/05
4日NHK総合テレビ星野道夫「アラスカ はるかなる大地との対話」の
ドキュメントが放映されていた。 
昨秋湯治の途中、福島市でかの写真展示会を鑑賞した。 
ちょっと背にぞくっと来た気がした。 

静止画は彼の作品というのがわかるが、 
動画自体も実にシンプルで美しかった。 
それに併行して朗読される日記、 
国語の教科書にも載るくらいだから分かりやすく、 
みずみずしい文章。 
一連の作品は彼の場合はその両方で成立しているように思う。 
写真という映像と後者の文章。 

「伝える」ということを極限にまで高めると 
ああなるのであろうか。 
出来ないことをまったく真似ようと思わない。 
しかし勉強になる。 
自分の写真や書き事は難解で分かりにくいと、 
身内からも常々指摘を受けることがよくある。 
恥ずかしながら、ここまで整理して書くと分かってきたが 
要は伝えることを前提としてないのである。 
あくまでその時々の己の心象をデジタルカメラで撮影したり 
記録したりしているに過ぎないのである、そのことが判明した。 
悪く言えば不遜。良く言えば純粋にちかい自己満足である。 

近くの遠い山往きなど、犬たちとの遠征。 
多少の雨など厭わず、荒天でなければ出かけていた。 
特に悪天候ほど考えることに集中でき、 
自分の姿を観る私が居るのが分かるときがある。 
長年、単独山遊びや水遊びがあり、 
そういった中で考えが静止できる貴重な体験であったのかもしれない。 
もちろん家族やあるいは近年増えてきた仲間との遠征も 
別な意味で楽しい。 
しかし考えというか心象が定まらないのである。 
その分、掛け値なしに楽しいから 
give & takeなのであろう。 

それが証拠に件名星野氏のアラスカへのアプローチは 
その片鱗が少し分かったような気がした。 
そしてこれさえ理解を得る、伝える文章になっておらず 
単に想いを書き出しているに過ぎないのである。 
嗚呼(爆)

■01/23大寒石霜 
勝手に造語だ。 
気象異常はもはや世界的に展開。 
豪雪も異常なら無雪も異常。 
ちょうどイイ按配を願う我等人類の傲慢さを 
見透かされているようだ。 
早朝、日足の早まった午前6時半には車止めへ。 
気温3℃だからいい具合に硬く厚いウエハース。 
アマゾネスはともかく、ヒトが上がっても潜らない。 
スノーシューはロシナンテに積んだままカメラをバッグごと担いだ。 
小さな砂防ダムのバックウオーター。 
靄が立ちこめ、薄暗い中、アマゾネス等は立ち回る。 
一年で今が一番渇水期、幾条にもなって流れ込み、堰堤にまとまって落流。 
厚手のソックスでそう冷たくも無いが 
時間の問題だと分かっている。 
雪があろうが無かろうが、 
その自然の中で見出すべく心のラグがあれば 
それだけでイイ。 
まったく楽で気侭。 
いつもなら白と黒のモノクロなのだが 
かろうじて積雪から逃れた石や 
枯れ残った植物の茎がわずかな色を添える。 
カメラバッテリィを気にしながらついつい100枚近く撮った。 
最近パソコンに取り込むのが億劫になってきている。 
きっとこの写真も明日以降だなぁ。 
早めに切り上げ、 
午前中に車窓からの風景を肴に呑むbeerを想像した。 
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■01/28
嗚呼元旦。 
一時間を数えるととても長いことがよくある。 
しかし終えた一日が頭をかすめた夜には 
その比にならないほど、とてもとても短いと感じる。 
実際もう正月の下旬だ。長くて短い。 
なにかしら遺しておかないと 
勿体ない気がするようになってきた。 
一昨年から2度目の元旦。そうだ記録だ。 
盆・元旦などとまったく単なる区切りとしか見てなかった習慣があった。 
なるべく記録をとろうと思ったところに 
ネット仲間からこのコミュニティを誘われた。 
元旦はアマゾネス等と遊び「初め」である。 
もっとも彼女らにその意識の有無にかかわらずにだ。 
逍遥遊。夜明け前に家を出る。 
外気温は零下1度を示し、 
暖気運転でフロントガラスの霜を溶かす。 
待つこと数分、 
シートで新年の落着いたラジオを聴いていた。 
解けた霜の隙間から道を見る。 
神社や寺からの帰参者の姿も無い。 
取り締まりの警官も居ない。 
新聞配達も牛乳配達も居ない。 
家人も居ないロシナンテの中、 
アイドリング音の中、 
静かな静かな朝を迎えつつある。 
一旦北上してから東に進む。 
小一時間ほど。 
2007年最初の太陽の光は、 
東蒲原連山にさえぎられ、 
その山容を浮かび上がらせた。 
灰色の雪を被る山々、 
その際(きわ)の東の空は朱華(はねず)色に輝く。 
快晴の予感。 
阿賀野川に架かる橋を渡る頃、 
川面一面に靄(もや)が流れている。 
幸先がいい。こんな冷たい日にヒトは入渓しないものだ。 
餅でも食っている。 
支流に沿う林道に入る。 
ようやく薄くマダラに積もった雪。 
その雪と靄をたどりながらロシナンテは進んでいく。 
森は未だ薄暗く、自然要害への道のごとく、 
折れた杉が横たわったりしている。 
クルマを下りて可能な道を確認する。 
細く迂回しながら第一砂防堰堤に着く。 
雪原と見えるそこは長い堆積土砂ですでに堰堤機能を落とし始めている。 
清冽な流れは黒々と雪原をうねり、幾条も描く。 
靄はバックウオーター上流に向かってたなびき、 
谷あいに吸い込まれるていくようだ。 
どこへ向かっていけばいいか教えてくれている。 
アマゾネス等は水と土の匂いで落ち着かず、 
バックドアを開けるやリードを付けたまま飛び降りる。 
シャックルと彼女らのチェーンカラーの擦れる金属音は 
静寂のバックウオーターまで高らかに響き渡る。 
リードをはずし歩き出した。 
かっては水の匂いも木々の匂いも感じたが今は無い。 
鼻の穴を通るツーンとした冷気も感じない。 
林道の雪の斜面を慎重に駆け下り、 
かっての湖底の上まで下りて流れを歩く。 
融雪までのいわば一番の渇水期である。 
会津県境との山々からの分水嶺。 
そこから流れ集まり落ちる最初のヒト知れない流れである。 
今の時期だから許される贅沢。 
そしてヤマヒルのサンクチュアリ。 
その凶暴で攻撃的で小さく恐ろしい番人は 
山菜やキノコを守る。 
しかし今や留守だ、冬眠だ。 
ある意味、クマより怖いのだ。 
かって独り言を言っては時々喋る機能を確認したが 
今や実質独り言さえ言えないし、 
仮に喋るヒトたちから不便さを思いやられたとしても、 
そうそう思いやられるほどでない。 
術後失った機能の一つだが 
いたってその実情に自然に馴染んでいる。 
きっと本来なら喋らないほうが好きだったのであろう。 
それに付随して潜水も不可である。 
他の機能は一年も立つ頃には支障なくなるほど回復。 
だが以前に戻ったわけでない。 
いまだ日の当たらぬ沢面を通して 
底を確かめるように足を進める。 
滑りやすい藻が生える温かさの条件も無く、 
沢べりにはわずか野生のクレソンが点在。 
くるぶしまでの深さの流れに倒れれば 
十分溺れることだってできる。 
アマゾネすらも振り返り振り返り先の靄を追う。 
積雪も一面を覆うようになる。根雪だろうか。 
次回はスノーシューが必要であろう。 
受け入れた沈黙は自然との接点を簡単に、 
むしろ豊かにしてくれる。 
やはり思考の原点はヒトリのほうが断然いいに決まっている。 
日常と非日常の中でのラグが心地いいのだ。 
どっちがどっち?! 
どっちでもイイ。 


■02/20
蒙古襲来 
日曜下山後、アンテナ圏内でスキーオフの 
参加連中のオフ後のオフがライブで 
写真メールにて入っていた。 

『室谷の沼越え林道の雪止めから歩き始め、 
スノーシューを途中からつける。 
前日の小さな寒波で高度が上がるにつれ 
いい雪化粧だったが、夜明け頃からのミゾレで 
雪も重くなり、そのうち冷たい雨にかわる。 
8時半、湯気のを上げる私やアマゾネス等は 
クルマに戻り、軽い着換え。 
アマゾネス等は毛皮のまま。』 

スキーオフの面々は天候不順で沈殿気味と受信。 
こっちは意気揚々帰宅後のミストサウナに、 
仮眠するには勿体無い日和で在庫の無くなった 
beerの買出しなど目論んでいた。 
それにサルシッチャという第1回試作品が 
食べられがっていたし・・・ 

と、まぁこんな状況をスキーオフのライブ配信先に 
送った。 
まっまさか! 
連中が匂いをかぎつけて急襲するとのこと。 
新潟へbeer買出し中に受信。 
まぁ暇人倶楽部の面々、 
ヒマさえあれば遊んでいる非社会的不埒千万グループ。 
考えられない事も無いがスキーからグルメ!? 
コペルニクス的転回。 
連中が居る県北から県央までざっと時間を見計らった。 
簡単に用事を新潟市内で足し、帰宅した。 
いつもの連中が来るからと 
カミさんにも防備に備えるよう車中からメール。 
玄関に入る、すると防御担当方はノンビリ灯油を買いにと娘と・・・??? 
部屋ぐらい整えておけよって、当たり前だと思ったが 
直ぐに帰るだろう・・・・・・・・・・・・・・・長い! 
なかなか買い付けから帰ってこない。 
きっとアブダビあたりまで足を伸ばしたのだろうと。 
会話の重要性を感じる時だ(汗) 

まぁ兵糧はいつでもあるし、 
それに美味いbeerもしこたまあったし 
大阪の重要度の高いガールフレンドから 
贈って貰った奈良の隠れた逸品のニゴリ酒を 
グビリと呑んで待っていた。 
おおよそ食い物屋を営むものが 
腹が膨れればいい、酔えればイイなどと 
自らのテーブルにインスタントやら 
やたら高級な食材では説得力を欠くことになろうと 
都合よく思っている。 
迎撃は的確にピンポイント(爆) 
ドヤドヤ攻撃をかわしながら呑み打ちまくる。 
サム・ペキンパー映画みたいだ。 
呑んでキッチンに立つから考えていた特殊攻撃に 
いくつか失念(にんにく)そのせいか 
さしたる賞賛の声はあがらなかったが 
急襲の割に友好的で、撤退するまで楽しく過ごした。 
スキーオフ主幹や遠来のやまてつ氏には流れタマくらいで 
被弾しなかったのがいいのかどうか?!(笑) 
被弾トップの柿の種・mac3両氏には中途半端でゴメンなさい。 
観音様再来のおじょしゅはお疲れさまでした。 
いちど県央ドリンクオフをやらないといけないと思った。 
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■02/27
私見一片
昨年秋以降、遠く50kmほど北の町から買い物に来ていた客が居た。 
老夫婦である。何度か買い物に来るうちに分かった。 
小さな桐箪笥の製造・販売店をやっているとのこと。 
堀部安兵衛出生の地である。 
その老木工師は木をいじるのが好きで好きで堪らぬと言う。 
わが町も桐箪笥では全国一の町。 
箪笥職人は何人も私の仲間に居る。 
仕事と趣味は違うが当たり前。 
しかしそれが同時に感じられる木工師であった。 
私的にはモノサシの無い木工技術の高さでなく、 
木が好きだというその人肌感覚が気になっていた。 

一昨日、山往きも終わり、昼からその店を訪ねた。 
生産から販売まで一人で切り盛り。 
小さな店内両脇に作品ともいうべき個性的な制作家具類。 
漆塗りで朱にキラメク小箪笥。置屋さん風情。 
埋没してた欅で作った小型の座卓。文机も。 
直接の作業場は2坪ほど、それも古い材料やら道具などで 
足の踏み場を探すに時間がいりそう。 
どれもこれもかっては古い町のアチコチで見受けられたものが 
現実に並んでいて、 
シャベリも出来ないのに老木工師の話を聞いていた。 

やおら最後に見せてくれた未完成の座卓。 
江戸後期の杉を中に硬い栗で挟んでいる。 
その杉の大きな節穴に瓢箪の彫刻を埋め込み、 
全体の繋ぎは舟楔。 
この表面を高熱で焼いて完成とのこと。 
完璧で無い(失敬)ところに気負いが感じられず 
日常ユースに馴染むと思った。 
欲しくなって価格を聞いたが、まだ焼色が付けて無いからと 
教えてくれない。イヤ、まんま生成りでいい。 
帰宅後、焼色つけたら個人的に価値を感じなくなる。 
付加価値をつける前、 
今がどうしても欲しいと電話にて再度嘆願。 
ようやく口説き落としてモノにした。 

それを昨日老夫婦が自宅までわざわざ届けに来た。 
しばし滞在してお茶談義。 
ついでに先代からのケヤキ材を観てもらう。 
何層もの埃を被り、あるものは朽ち果てつつあり 
気にはなっていた。 
朽ち果てつつあるケヤキに目を止め使いたいと申し出た。 
こうしたいくつかを次回作業場まで届けることとなった。 

私見一片。 
おおよそ耐久諸費材は使ってこそ価値が生まれる。 
飾りでもなくステイタスでもなく、日常ユースでこそ 
その真価が発揮するものと信じてる。 
ところが消費材となると勿体無いとか思って、 
ついつい食べそびれたり呑みそびれたりと 
まことにチグハグ(爆) 
やはり本来持っている機能やスペックを味わうことで 
成仏でききるのだろうと思う。 



 

■03/07
道南食倒1
今頃アウトドアでもない。 
JR東の大人の休日倶楽部に入部。 
この企画がなければ函館くんだりまで 
行かなかったし、グリーン車にだって乗『れ』なかったし。 
さすがグリーン車はシートも広く、 
トム&ジェリーだって騒げるし、だいいち疲れにくい。 
車窓の外を肴に早々買い込んだ缶ビールを呑み始めたり、 
呑み飽きしたら・・ないのだが、 
公共車両の中ではホドがある。 

東北あたりから気になっていた住宅群。 
木造建築を探すのが困難だった。 
新幹線敷設の際の移転などで沿線では新しい建物が多い。 
多くは新建築様式の気密性の高さが伺われる瀟洒な家々。 
道南上陸後は特に木造建築の家など見当たらない。 
熱効率を良くし、燃料を抑えるためなのだろう。 
木材産地なのに。 
あと車内では本を読んだり、 
仮眠したり、非日常を楽しめた。 
それに東北新幹線にはグリーン車専用の若い女性の乗務員がいてオシボリにコーヒーにと手厚いサービスを受けることが出来る。飛行機並である。 
家を出てから8時間ほどで上陸。 
函館ではあちこち動き回ることより、 
丸2日間市内中心の見聞にしたことが良かった。 
ネライを定めた五稜郭に北方民族資料館ははずせない。 
それとカール・レイモンの食肉加工店。 
それに道中、道の駅を大規模にしたような観光スポットも観た。バブル華やかなりし頃計画され、 
その終焉頃に完成して、一応の客寄せは出来たとしても、 
以後の急速な消費冷え込みに収拾を余儀なくされつつあるようなスポット。日本各地にあり、我が店も小さいながらそうだ。 

疾やき春 風に吹かれて 五稜の丘 
                 馬骨童子 
五稜郭に入城。 
ようやく高度を上げて全容を俯瞰できる建物を下から見た。 
そして実際俯瞰してみて分かったこと。 
西洋の城を参考にした平城。 
その城攻略を勘介か如水になった気で(汗) 
希望兵糧さえ城内に確保できてれば不落のような気がした。 
4〜50mの濠、これが防御の要。 
しかし、しかし元込め式大砲の出現で『結果』のとおり。 
何事も絶対はないという歴史的実証サンプルであった。 

■後日に続く・・・ 
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■確かにキレイな夜景であった。 
津軽海峡の大きな湾の中にポリプ状突端に 
この函館山があり、そのまた突端岬は立待岬と・・歌謡曲に。 
アジア系観光客の多さにビックリ。 

今宵の宿は駅前のビジネスホテル。 
晩飯に居酒屋がいいとツアコンの長女から云われていた。 
合点!海峡を臨む居酒屋に決める。 
イカの踊りにシマエビ踊り、大間産黒マグロホホ肉などと 
北海道限定beerと、接客の良さもあり至極満足。 
ありがとう、海のガキ大将! 
函館山で俯瞰した街図を頭にいれて 
宿まで暗い中歩く。訓練だ。 
腹ごなしにいい按配。 
明日の早朝朝市メシに食指が動くはずだ。 

5時半に起き、最上階にある温泉に入る。 
薄暗い中だが天候は良さそう。 
サウナを併設しておらず残念。 
ホテルの朝食はパスして、 
6時半には朝市エリアまでまた歩く。 
日中は人ごみで歩きずらいから朝駆けがいいといわれてた。 
さすが店も開店準備中で我々に「早いネェ〜」ってのが精一杯。 
呼び込みは中高年が多く、 
さぞ込み合った時などの日中はかなり強引そうだ。 
幸い巨大タラバにハナサキにズワイ蟹にと 
寺泊でも常時見れる蟹が中心。 
他の魚介の少なさにビックリ。 
帰り際、タクシードライバーから聞いていた 
幻の魚「ごっこ」の水槽入りを発見。 
「喰えるか?」「イヤ観賞用だ」ヤリトリ。 
ソンナコンナで一通り回ったのち 
予め調べておいたウニ専門店を探した。 
開店前だった。 
次善、小さめの食堂に入る。 
これがアタリ! 
明けぼの食堂、夫婦二人で切り盛り。 
エゾバフンウニの2倍丼に限定beer。 
最高だね〜、もう思い残すことはないなどと 
2ハイ目beerも・・・汗 
ミョウバンにさらしてないから 
その雑味もなく、小さめのウニは爽やかな 
海の香りと甘さであった。 
偶然、裏メニューにゴッコ汁一品@600があった。 
もちろん注文。 
あのアンコウ並の妖怪さに 
ヒレにシッポの付いた全身コラーゲン隗。 
アンコウより骨はまったく苦に無く、噛める。 
腹側に吸盤があるというが 
小さく切り落としているのでわからなっかった。 
ここ道南の家庭でも一年で今のひと月ほど喰える深海系の魚。 
一つの風物食である。これが即ち食文化であろう。 

ここからカールレイモンまでかなりある。 
最初歩いたが、程酔い加減でタクシー乗車。 
ゆえに店に入ってeatinnでソーセージを食べる気力がなかった 
・・・しかし業務視察だ。 
別腹を開いてなんとか焼ソーセージを食べた。 
不味くない! 
プレーンなソーセージを選んだ甲斐があった。 
ここからは昨晩の函館山まで遠くない。 

観光マップに載っていた 
北方民族博物館を探しながら、ホンキで歩く。 
是非とも観てみたい施設であった。 
電車道を横目に映画「ブリット」を思わせる 
坂道を何本も横切ったところにあった。 
重厚な石造りのビル。 
ある財産家が私財をなげてこの博物館を造ったとか。 
その資産家より名も無いアイヌ人達の資料に 
興味が行った。 
関東一円にもかの民族は広がっていたといわれている。 
実際我が県内にも北方系呼称に近い地域名がある。 
中学生の頃、アイヌ人の作品展があり、 
木彫り実演しながら説明するかの人は、 
あきらかに当時の我々と一線を画していた。 
帰り際、ムックリ(口琴=コウキン)が販売していた。 
さっそく買う。受付の女性がその作者であり、てだれの奏者であった。 
似たこの手の楽器(?!)はモンゴロイド系民族 
ばかりかと思いきや、古いヨーロッパにもあったとは分からなかった。 
この日の夜、宿で練習したが糸で指に摩擦切り傷が出来た。 
弾くより聞くほうがいい。 
文化鑑賞のあとは歩く、ひたすら腹を刺激し 
昼に備える。 
昨日ランチから魚介が多い、今日は肉系にしよう。 
明治の頃に出来たと云われる洋食やを探した。 
いい按配に腹も減る。 
瀟洒な建物、皇太子夫妻を案内して店に入る 
オーナーの大きな写真が迎える。 
古くて高価そうな内装のホールで20分ほど待たされる。 
場違いな感じだったが特別低廉な電車代で来たからには覚悟を決める。 
あにはからんや、帰り際の会計にホットした。 
価格の割に丁寧なサービスに手造りの味わい。 
ここの店もかなり出来た店であった。 
つれは魚介カレーセット、 
こっちはシチュウセット、もちろんbeer付き。 
五島軒、永遠なれ! 

坂道を歩き、電車通りで軌道電車に乗る。 
駅まで行き、明日の土産手配の下調べをした。 
興醒めはカールレイモン然り五島軒然り、 
そこの製品がやたら陳列されていた。 
おいおい、話が違うぞぉ 
結局、どこの土産店を覗いても陳列。 
傷心傷心。 
もっと姿勢をキチンとしないと。ネットでも買えるはず。 
駅前のドトールコーヒを呑んで 
午後3時には軌道電車で湯川温泉郷に向かう。 
本格的温泉に入りたかったし 
サウナで温まりたかった。 
なにしろ前日、朝から夜まで3リットルはbeerを呑んでいた。 
ホテルの食事もあり、今度は湯で体力を消耗させた。 
結果提供された食事は懐石ながら 
もっとも印象薄い食事であったことにツレと珍しく合意。 
5年に一度くらいは上級旅館ということで 
ツアコンにあたらせた宿。 
市内居酒屋に及ばなかった・・・というより 
万人ネライの料理はかくあるべきだというに過ぎない。 
ライトダウンされたシーサイドは、 
ウミネコの細い目が反射し、大きな夜光虫のように 
荒れ始めた海面に漂っていた。 

翌朝は大きな波の音で目が覚める。 
風が凄い。 
海峡は時化だ。 
今日函館を立つに、強風による電車運行中止を気にした。 
日本海側奥羽本線青森近辺は運行中止とTVニュース。 
さてさて・・・考えても私の力ではいかんともし難い。 
軌道電車帯まで横殴り雨の中歩けない。 
タクシーで函館駅まで行く。 
コインロッカーに荷を預け、駅前のショッピンブエリアに向かう。 
その昔、修道院産バターが一般的だった。 
いろいろ検討したが、やはり小ぶりで内地には手に入りにくい 
特殊バターにした。 
昼の在来特急電車だ。 
最後の昼飯を駅弁にするかそれとも・・・ 
結果、双方を選ぶ。 
駅ビルの中にある、 
立ち食いの鮨屋が気になっていた。 
カウンター3人で一杯。明朗会計の札。 
摘めば分かること、つまんだ。 
ウウウっ美味い! 
早い、安い! 
特にシメサバが材料の鯖から〆る程度も、今まで最高と感じた。 
食欲もbeerに誘われ、ついつい握ってもらったが 
何をつまんでもデキは良かった。 
一坪ほどの立ち食い鮨屋。 
原点はこうありたいと思わせるいい店であった。 
13時には青函トンネルを抜けるための在来線のヒトとなる。 
21時過ぎには帰宅でき、 
その晩飯を途中途中名物駅弁をセレクトした。 
一種を除いて全部当たり! 
ハズレは新潟県産であった。 

食い倒し道南の旅。 
JR東日本のこの企画が無かれば到底行かなかった道南。 
一応北海道上陸を果たしたということだ。 
文中、食事のことばかりであるが、これが目的だから致し方ない。 
何でも揃う食品のなか 
こうして地域色を感じれる食との一期一会は 
同業者として大いに勉強になるものである。 
やがて血となり肉となり、今後の食提案がなされるものと思う。 
                        頓首 


■3月18日。
元旦再来 
恐らくこの山域で今シーズン一番の積雪かもしれない。 
啓蟄も過ぎ、 
冬眠から目覚めようとしてた 
カエルや蛇などにメカクシユキというんだそうだが 
膝までの積雪を一時楽しんできた。 

夜明けが早くなったとはいえ、 
毎度のことながら朝駆けなので 
写真撮影は暗くなり勝ちなことが難点。 
しかし目の前に広がる風光は飾り気無く、清冽そのもの。 
スノシューを付けるには新雪であまりに柔らかだし 
4・50cmくらいは機動性を考えたらツボアシで十分だ。 
昨秋の全国的熊騒動で山への出入りが減った。 
ゆえに林道など踏み跡が限られ 
轍(わだち)さえ辿れない場合がある。 
いいことである。 

遠く野ザルの咆哮を聞きながら 
挟むように狭い両の尾根筋を見上げるアマゾネス。 
時には雪の急斜面を掻き上がる。 
好奇心を満たす、すなわち生きている実感と、 
・・・さえ感じないままの自然の行為。 
上はすでに16歳を越える彼女らの野(ヤ)のココロ。 
それさえ感じ取れていればこんな幸せなことは無い。 
支配しない、されない世界はわずかばかりだが 
何にもまして換えがたいものであろう。 
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■03/29
奇節仰天
間違いなく正月が近づいてきているようだ。 
奇節と書いたほうがいいのか 
とにかく先週しかり今週しかり、 
膝まで埋まるくらいの積雪で、内心にんまりである(笑) 

本来、残雪は固く締まっている。 
確かに下界にはあの汚れた残雪も無く、関東以西の春の様相。 
これでは雪国生まれた超特権が誇れない! 
それが証拠に我がアマゾネすらは喜々として遊び、 
やっと二週続いた雪遊びに、 
帰る催促をしないとクルマに戻らない。 

山スキーを息子にメンテを依頼し、 
勇んで暗闇のスタートだった。 
3年ぶりにト■○ブトを目指した。 
昨年のあの大豪雪でさえ、 
4月頭には林道雪割り作業に入っていた。 
・・・ところがどうだ! 
最後の集落からその林道の雪はマンマだった。 
ヘッドライトの明かりの中で付けるスノーシューも 
効かない雪道を、小雨の中、夜明け前、 
2時間以上ズボズボ歩くのは野暮&ナンセンスだと判断。 
もちろん近隣の夜行性野生動物の寝入りばなを妨げないこと。などの理由付けがいった。 

軌道修正。 
いつも自然は思い通りの期待を拡げてくれるわけでない。 



■04/01
惜別冬往
2週間前は真冬の様相。 
地温高く、あのひざまでの雪は溶けて一木一草の潤いに。 

まったく無名の地ながら、渓流氾濫でクルマ止めに 
なった場所にすでに一台止まっていた。 
小雨だったので予期せぬクルマ。 
観れば水戸ナンバー! 
釣りはもう解禁?! 
それとも日本平山登山か?! 
先行者が居ることはアマゾネス等の行動範囲が狭まる。 
遠く渓流に人影見えるか、登山道に踏み跡があるか 
注意深く進んだ。 
それも飽きて、雪シロ多い流れを浸み込む水を気にしながら渡った。 
奇節に戸惑うフキノトウに根山葵を採った。 
フキノトウはともかく、 
山葵には地酒の吟醸酒粕を探さねばなるまい。 
下山の途中、水戸ナンバーは動いた気配なく止まっていた。 
登山か・・・帰る途中、数台のクルマとすれ違った。 
早起きは三文の得也! 
写真はキクザキイチゲだと思うが 
一期一会、微妙に色が混じりあった個体であった。 
嗚呼、奥深く人知の及ばぬ自然。 


そうでない時が多いからこそまた来てしまう。 
それにめげないココロ(笑) 
来る途中の生活林道で標高を上げようと考えた。 
すでに雨で湿った積雪と緩斜面で山スキーを諦め、 
スノーシューの出番。 
除雪車の方向転換スペースにロシナンテを止め、 
ヘッドライトで締めた。 
小さく緩やかな尾根を目指した。 
暗い中、雪原は靄の中に埋まり、幻想的光と影・・・ 
まだ陽が上がってない(汗) 
時間にしてたいしたことはないがボサボサ歩く。 
ホワイトアウトにあったら 
この広い雪原ではライブアウトだ(汗) 
大体こんなことを考えなら歩く。 
カメラも起動させるが、この暗さではまったくつまらない。 
今の時期、結構いい天気が望めるのだが 
異常気象の始まりは、 
予測を要らないものにしてしまう。 
ゆえに、風以外であれば行動起こすという指標は 
訓練上とても優意義だ(笑) 

暖かいコーヒーとか、帰ったらビールを呑むなど 
その際の肴は何しようかとか 
さしたる考えもなく、広い雪原を歩いた。 
時折登って来た自らの踏み跡を確かめるが 
この天候でせいぜい10数しか追えない。 
アマゾネス等もツボ足同様で歩きずらそう。 
とにかく足のモモが重くなるまで尾根を目指した。 
【マンサクの花が昨年の葉をつけたまま開花中】 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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