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■遊海IIの巻。新潟県山北町笹川流れにて01/07/26

海にセリ出ているような道路から、下の猫の額ほどの白い浜辺を覗く。

その白砂の上に寄り添うように、

色とりどりのテントは支柱を支えるロープが複雑に交差しながら、

寄り添うように立っている。

砂上の楼閣ならぬ…テントだ。

加茂を4時半に出て午前6時過ぎに着く。

数年ぶりの・・・先のネット仲間との潜りから2週間過ぎて、

ようやく本来の澄んだ深いエメラルドグリーンを見せている。

海底の岩礁がその尚深い色をたたえ、沖へ伸びているのが見える。

やがて海に混じりこむ。

昨日までの暑さを忘れたかのように肌寒い朝である。

気温21℃。

ここ笹川流れは歴史に名を飾るのは、

多分芭蕉は奥の細道で詠んだろうし、

幕末の国学者の頼山陽なども詠んだほどの景勝海域である。

川ではなく海であり新潟県最北の岩礁海である。

この日本海に向かって立つと背は東になる。

そこは急峻な岩山が聳(そび)え立ち、

したがってこれが陽をさえぎり、岩礁砂浜は日の出までの朝が遅い。

狭い砂浜にいくつかの青い煙が潮風に揺れている。

と書きたいのだが、今や簡易コンロが幅をきかせている。

焚き火の支度や始末よりより利便性であろう。

揺らめく炎での語らいはもう望めないのかもしれない。

便利は情緒をも駆逐する例であろう。

油を流したような静かな海面はカモメ以外誰も居らず、

いつもはイヤイヤ起されているはずの数人の子供等が

波打ち際で戯れているのが見える。

車から道具を降ろす。

防波堤に取り付けられた高低差ある階段を下りる。

支えロープに引っかからないよう、

テントを避けて入水ポイントに向かう。

海中より梃子摺(てこず)るかもしれない。

異邦人だ。

テントの正面やらその裏窓からは、

観るつもりは無いが見える光景は似通っていることに気づく。

昨夜の模様が散在、コットンタオルケット、

それもテントを透過する色に染まっている。

武骨な素足があったり、観察しないように努める。

フォルディングテーブルセットのテーブルの上には

缶ビールのつぶれかけ、半分残っているペットボトル茶。

折れた割り箸、ガスキャンドル、

プラスチィック椅子にはしぼみかけた浮き輪、

テントを支えるポールに掛けた性別判断不能なカラフルな水着や

タオルなど、観察しない努力しても避ける為には観察せざるを得ない。

朝必要と思われたときの缶切りやスプーンなどを

探すのが容易で無さそうである。

難所を抜ける。

 

岩場にはさすが誰も居ない。

その頂きと云ってもわずか海抜2mくらい。

パンツとTシャツを脱ぎ、トランクスになる。

装備といってもわずか…でもないか。

水中メガネとフィンとシュノーケル、

あとはバールとキティちゃん浮き輪つき収穫袋。

それと防水カバーにカメラをセット。

ゆったり海面は静かに小さくうねりながらも、

湖の如く波の音さえも聞こえない。

剥き出しの岩に裸足の裏全体に体重がかかり、

江戸時代の拷問を思い出す。

海水に洗われては頭を出す岩に下り腰をおろし、道具をつける。

揺らめく海藻は私を誘うように身をくねらせる。

せいぜい海藻くらいか。

いまだ今日の夏の陽光を浴びない海水は決して夏の海を思わせない。

中心から外れた浪打際の最初のテントの住人たちが視野に入る。

遅れを取ったファミリーに決まっている。

私に向けて指を指しているが、

子供になんかしら説明をしてるのだろう。

まぁ慣れているから、それに…背中を向けていなかった。

岩に立ち上がり、不安定ながら手足のストレッチに努める。

ゆるりと滑り込むように海水に入る。

「サウンド・オブ・サイレンス」ってこんな状態をいうのだろう。

♪Hello〜 darkness of my friend〜♭

耳元に当たるわずかな海水の響き。

名を知らない小魚の群れ、群れ。

エンドの解けた子どもの手首ほどの太さの船舶ロープのきれっぱしが、

海中の岩の間から立ってたなびき、時折その群れを分断するが、

また小魚は群れる。

潜水すると海中は薄いエメラルドブルーに変わる。

マスクの前に手を翳(かざ)す。

染まってないだろうか、異常なし、幾分白っぽく見える。

腕を前に伸ばす。

一の腕の毛穴から小さな白く輝く泡が幾つも貼り付いている。

これが活性酸素の正体か…ではあるまい。

透明なのだがそのエメラルドブルーは視野を先に伸ばすと徐々に濃くなり、

やがて深淵に深く黒っぽく混じりこむ。

両脇の岩礁は切り立ち、深い廊下か水路のように見せる。

シュノーケリングしながら進む。

私の腹の下は既に10m以上潜らないと届かない海底。

その海底は徐々に遠くなり、宇宙遊泳の気分に浸れる。

自然が創りたもうた我が機能を整える為に大きく息を吸い込んで

上体を垂直に海底に向ける。

垂直に落ち込んでいるはずだ。

大マグロや大ダコ、ヒトデのクッション、やはり名を知らない海藻。

触手がパラパラダンスのような巨大なイソギンチャク。

水中マスクを通しての世界は何でも巨大に見える。

その内、鯨とも遭遇するやもしれない。

いまだ太陽が届きにくい世界は暗く、モノクロな世界が続く。

岩と岩の間にムラサキウニとイソギンチャクが隙間を埋め、

鰤(ぶり)ほどの大きさのアイナメはその岩礁で腹をこすらずに泳ぐ。

ホンソメワケベラだろうかな。

さっきのアイナメほど美味そうには感じない魚である。

魚も醜いほど、黒いほど美味いと一般的には云われている。

昔知らないとき、

そのベラを刺したら、

口から小さな子供達を吐き出したように見えて以来刺したことはない。

確認はして無いが、気分が落ち込んだ。

ある魚の種類の中には口中で子育てをする話を聴いていたせいだろう。

思い切ってフィンで蹴りあがる。

限度がある。ガマン大会でないのだ。

オモリを抱いてじっとしてるなら…2分近い昔の記録がある。

その頃もタバコを吸っていたし、

今はもうそのタール蓄積で肺の容積も減ったから、1分が限度だろう。

その上海中で何かしら作業してたら物の30秒がイイ処でないだろうか。

体力が落ちてるという事実を数値で測られるのはいやな気分である。

したがって計らないほうが得策と考える努力をしている。

大きく息を、イヤ海水を吐き出してから息を継ぐ。

整えるその間深い海底やら立ち上がりの岩礁壁を眺め、

獲物を探す。

海底奥深く続く水路には砂漠のように砂紋が拡がる。

生き物のように緩やかに前後して、砂の上を地表のゴミが動く。

オーバーハングした岩礁の切れ込みを伝い屋根の下に、

いくつもの岩牡蠣がある、いた。

天井を避けながら息継ぎに出る。

再度息を整えながら狙いをロック。

岩牡蠣を支える岩屑を、

スローモーションのように撒き散らしながら剥がす。

餌と勘違いする魚が口に入れては吐き出す。非難の目は向けない。

自然界では勘違いはよくあること、必ず獲物にありつけるわけでは無いのだ。

思い込みほどダメージを大きく与えてくれる、それが自然。

浮き輪の中心にぶら下げた20kg入りタマネギ網袋に岩牡蠣を投げ込む。

海中から見えるあのタマネギ袋の色の鮮やかな人口色合いは意外と頼もしい。

大型岩牡蠣は無く、それでもこのポイントは収穫があった。

左ひざの上あたりをウミユリにまたしてもなぞられる。

小さな痛みがチクチク拡散しながら広がる。

小さな海藻なのだが、いつも暗いところにコロニーを作っている。

貧弱な白い羽根毛で出来た毛筆用小筆といいえるだろうか。

いっせいに海中でなびく姿は、岩肌が波打つように見える。

この様子を撮ろうとデジカメをもって潜る。

シャッターを押すが反応なし。ディスプレイは青い。

媒体が空だ。

絶好の海中、様々撮る予定がゼロだ。

言い知れぬ虚脱感を息継ぎしながら感じ、

己の始末に悪態。

媒体まで遠すぎるし、

日の当たらない岩礁海は冷たさを一気に引き寄せる。

願ってもない透明度の海中なのに…。

負の心理状態でのあらゆる行動、とりわけ自然界では禁物。

すっかり消沈、切り替えをしなくてはとあせる気持ちもある。

カメラを収穫袋にまた繋ぎ、単なる収穫を目指した。

大き目のムラサキウニをいくつか。

タイミングを逸するとあの針は岩の間に根を張り、

ウニの踏ん張りを見せる。

無理してバールを入れると殻は割れ、海中に卵膀は散りジリ。

付近の魚につつかれる運命になる。

何で察知するのだろうか、すぐにやってくる。

人間でさえウニを美味いと思うのに、魚たちも喰われることを忘れて

壊れたウニの殻からオレンジ色の卵をついばむ。

「その一口で20円くらいだ」って云おうと思ったが

シュノーケルが邪魔をした。

潜っては息を継ぎ、また潜る。

久しぶりに本格的に宇宙遊泳を堪能。

徐々に海水の温度は私の身体を同化させてくる。

陽光照る昼ならばそうでもないだろうが、

岸辺にそそり立つ山々からのいまだ太陽は見えない。

収穫袋も晩餉(ばんげ)の肴を保証してくれている。

思い切って『沈』をする。

耳抜きをするが、海底まで後わずかのところで断念。

だが足がついたので、思い切り急浮上を掛ける。

海面まで息が続かない、という少しの躊躇は身体を一層冷やす。

明るい海面に上半身の半分が飛び上がったかもしれない。

『発見〜!モーヴィディックだ!』エイハブは叫んだ。

 「それに、ある種の人々の魂の中にはキャッツキル山の

  鷲がいて、暗黒の谷へ真逆様に下っても、

  再び舞い上がって太陽輝く空間へ消えて行くことができる。

  

  その鷲が永遠に谷の中を飛翔していても、

  谷は山中にあり、たとえ平原の他の鳥が舞い上がっても、

  谷底を飛ぶ鷲のほうがまだ高い」

 

          ―――ハーマン・メルヴィル―――

                  「白 鯨」より 

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