Headline(TOP) 思い立ったら… 菜工房 Outback

■遊海の巻

遊学と似てはいないだろうか。

江戸時代まで確か「遊学」とは、

意を決めた武士などが他藩や他所で見識を深める為の、

いわば留学のような認識でなかったのだろうか。

翻って、遊海、遊川(セン)この辺まではまだいい。

…遊山まで来ると物見遊山といわれ、いい使い方はされていない。

ならば遊然か。

いずれにしても特定の師を持たない努力をすることに長年頭を費やすと、

人にはかなり私は好き勝手に映るときがあるようだ。

心ならず、私ほどココロに満ち満ち溢れた感慨を持ち続けようとである。

しかしこれは書きすぎ…、認める。

敢えて云うなら、自分以外皆師であり、宮元武蔵と同じ。

しかし、これも憚れる。

しかし、人ばかりでなく、むしろ今の機械文明の機械そのものも対象である。

そういった私を取り巻くモロモロの全ての環境の中から、

そのわずかばかりのココロの片鱗を教えられているのかも知れない。

海や川や山などのフィールドからは、

極めて有機的な暗示を与えてくれるみたいだ。

機械的それはあくまで無機質なデジタル評価といおうか、

自然界とはまったく色合いの違う暗示、いや、むしろずばりの回答を出してくれるのかもしれない。

 

ここ県北の海は、

数千年いや数万年におよぶ波と雨や風が、この一大花崗岩地帯を砕く。

その白く削り取られた小粒の砂は岩礁を埋め、わずかばかりの海辺を創る。

海からすぐの山からはその森の植物の種子達が潮風に舞い、

その岩礁にかろうじて定着する。過酷な条件に勝ち残る植物が生き長らえる。

奇岩立ち並ぶ白砂青松の海辺とする。

前日の大雨で道路から見下ろす海は、雲海から突き出た黒い山々のように、

底に沈む岩礁を黒くかすかに示している。小さなうねりもこのくらいは当たり前であろう。マッチの軸大の砕かれた花崗岩の砂は、足の裏を適度に刺激してくれる。

太陽を精いっぱい浴びて熱くもあるが、さしずめ足の裏温浴マッサージかもしれない。その白い粒の大きな砂浜に、打ち上げられた枯葉やら木屑などで

できたいくつもの放物線が描かれている。

32年前からこの「笹川流れ」を選んで、海ならここだと思って毎年夏前から訪ねてきていた。かっては自動車の交互通行すら出来ず、砂埃を舞い散らしながら、エアコンの効かない車で暑さを凌いでやってくるだけの価値を感じていた。

その頃はムラサキウニやサザエ・鮑の他、ソイ・アイナメ・小鯛からガザミまで、肴を心配することはまったく無いほど採れた。

ここ10年ほどは収穫も減り、半世紀を前に体力の停滞やら息子等も大きくなり要望も減ってきたのも事実。

 

5・6年ぶりであろうか、素潜りは。不安も無いとは言い切れない年代に達し、

内心キッカケがつかめないで居た。しかし前日までの荷造りは期待にワクワクしていた。今回は水中カメラも、こんな日を想定して2年前に買い込んでいる。

学生時代に買った大きな放出品の布バッグの出番だ。

その大きなジッパーを引いて開ける時のかび臭い匂いに混じり、新しく買ったマスクなどが顔を出す。

着替えを済まし、マスクに唾を塗り曇り止めを施す。岩の上に座りフィンを海水で濡らして装着する。岩にかすかに打ち寄せる波はトランクスを濡らし、

大き目の波は身体を揺らす。足元にはホンダワラなどの海藻が身を波に任せている。褐色がかった潮の花も波間に漂い、一層潮の香を引き立てる。

 

ゆっくりと熱い湯船に浸るように浸かる。かってはすぐに飛び込んだものだが、

隔世の感を味わうことにする。石鹸とタオルは…。顔をつける。

揺らぐ海藻の間からは先は見えず、視界が利かない。せいぜい50cmくらいであろうか。そして我が身を海藻のように波に任せる。

海面に出さないようにフィンを海中で軽く上下する。シュノーケルに思い切り息を吐き、海水を抜く。波間をうつ伏せになって進む。頂頭部を除いて海中である。

時折海藻類がマスク越しの視界に現われ、異物感を素肌にかすめていく。

呼吸を平時に戻しながらゆっくり漂うが如く進む。

 

大きな波が砕ける岩礁の縁で、再度息を整え倒立の要領で沈下する。

頭を垂直に海底に向け、空にフィン付き足を突き出す。すると、自然に沈下する。濁った海水と岩礁の壁の間を舐めるように沈下する。

30cmほどその壁にマスクを近づけると、そこに張り付く生物がようやく確認できる、最悪だ。岩牡蠣はその貝の大きさにより、わずか数mmの隙間を開け、海水中の酸素やプランクトンを取り込んでいる。

そのくっついている根元にバールを立てる。テコの要領で剥がす。

左手で受け、勢いよく海面に飛び出る。

まるで急浮上の潜水艦のようかも知れないといつも思う。息を整えながら波間に漂う。澄んでいれば次のポンイトを確認するのだが、こう視界が悪くてはそれも出来ない。

マスクの前を漫然とオレと漂う異種物体を眺めては、触れていいものとそうでないものとに判別しながら呼吸を整える。

 

また岩礁に近づき壁伝いにスルスルと倒立沈下する。岩礁の襞には小魚やイソギンチャクがひそんでいる。小さなサザエをトランクスのポッケに入れながら、尚も沈下。繰り返し、細々手探りの岩牡蠣採りである。

勢いよく浮上しては息を整え潜水する。大概潜れば岩牡蠣を剥がしてくるが、

この世界にも強情なヤツがいて、息が続かなくなり浮上。新たに息を整え潜るのだが、さっきの強情な岩牡蠣の場所までわからない。

それを探すことより、他の場所の牡蠣を探す。状況が見えない中、意地になっても仕方あるまい。視界が悪いと平衡感覚にも影響が出てくる。

垂直に潜水するのだが、どうも体全体に捻りが入るような気がする。

海面下のうねりのせいかもしれないが、普通では感じた事の無い潜水である。

時折岩肌に触れる腕にチクチクしたものが触れる。ウミユリという有毒海藻である。

よく観ると壁に手のヒラ大のコロニーを必ず作っている。優雅な名前と異なり、厄介な海藻である。山菜で云えばイラクサであるが、そのウミユリはもっと小さくていやらしい姿を揺らめかせている。白身がかった透明な穂先と黒っぽい細い茎を持つ。

 

こうしてこれを書きながらもその腕に痒さを覚える。

5年ぶりの素潜りは思い出しても気分が良かった。耳の穴に音を立てて流れ込む海水の音。沈黙の世界から浮かび上がる時の、岩礁を打つ波のやかましい音が響いてくる安心感。

記憶の数をこうしてキーに打ち込み、駄文となる。

 

軍手をつけない右手は傷だらけで、海面に上がるとその擦り傷から血が滲み、波に洗う。洗っては白くなり、また滲む。

マスクにどういうわけか、やはり鼻水が溜まって来る。岩礁に腰をつけ、マスクを洗う。ヌルヌルと顔にも残る。鼻をつまんで思い切り出す。

岩肌に何本もの褐色のイトコンニャク状のものが波に洗われている。

ウミソーメンという海藻だ。かってはアメフラシという海生ナメクジみたいな大きな生き物が生みつけた卵褒と長いこと思っていた。

海藻と知り、今それを剥がして口に入れる。

塩味はちょうど良い。イトコンニャクの表面を柔らかくして、芯はそのまま、という感じか。美味いの一言に尽きる。

食感といい、かすかな潮の香。モズクより美味いと思う。新たな発見は今にもある。

教えられた風聞は風聞、世の中今になっても知ることはある。海の塩の如く、無尽蔵に知らなければならないことはある。

限りある我が往き様と在り様、その追い掛けっこかもしれない。

白い太陽が西の水平線に落ち込みそうだし…

しなびて血が滲む指を見て岩礁の上に立つ。

ゲームオーバーだ。

全てをまた装着して、その上から飛び降りた。

めくるめく白い泡粒が白いスクリーンのようにマスク眼前に広がり、

あっという間に元の濁った褐色に近い世界に戻った。

ポッケに溜まったサザエの錘(オモリ)と

浮き輪に付けた収穫袋が

足に絡みつくのを気にしながら岸辺に向かった。  

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