晩 春 譜
■ロシナンテを叩く雨音で目がさめる。
曇ったウインドウを指でぬぐって、
その指で拭った隙間からうっすら明るい外を眺める。
灰色と白っぽい色が入り混じったブナの樹皮の幹を、
黒い雨水が伝って笹薮の腐葉土の地面に染み込んでいく。
犬たちも気配を感じ、セカンドシートの背もたれに前足を掛ける。
パニック気味の狭い車内でハンティングブーツを苦労して履く。
待ちきれない犬たちは催促の鳴き音を上げる。
思いのほか雨足は強く、昨晩の小雨が嘘のようである。
雨のブナの森は、犬たちの喧騒をしっかり受け止めてくれている。
秋のあの冷たい雨に比べ、梅雨は夏を予感させる希望の雨。
天に顔を向け、その雨で顔を洗う…と図になるかな。
バックドアを開け、彼女等をフリーにする。
とき離れた時の彼女等の溌剌した姿は、いつ見ても気分がいい。
多数の水鉄砲で放たれたような雨の中でさえ、
構わずにブナの森の下を覆う笹薮の中を、縦横無尽に走り回る。
これでまたヤマダニを何匹連れてくるか。
しかし熊よりイイ事だと断言できる。
要は比較の問題だ。
犬を連れての獣避けといわれることが多いし、
事実オレもそう思っていた。
しかしその対象が強敵になるほど、
逆に犬が飼い主のところに逃げ帰って来ることがある、
とベテランハンターは言う。
世の中に絶対は限られてくる、いい見本かもしれない。
齢(よわい)半世紀を越え、
取るに足らない自然界にこうして身を移している。
カタチよく表現すれば在り様(よう)を確認するトライアルでしか無い。
いつもあるがままの賜物と向き合っている。
心の底からフツフツと、
えも云われぬ畏敬の念が生まれてくる気がする。
今日は無事に帰れるだろう、と少なからず思う瞬間でもある。
20数年前、こうした遊山を始めた頃は、
まさに山との格闘の感があったはず。
ゼンマイ採りはもっともその典型的な形態をよく表わしていたと思う。
何度か危険な体験もした。
融けかかったスノーブリッジ(雪渓が橋状)が下部を覆い、
ポッカリと滝壷だけを黒く見せている沢、
残雪が溶けた後の全容で、そこが滝であることを後で知るのだが。
危険だからこそゼンマイは孤高を誇る山菜である。
観た目小さな沢であったそのキツイ斜面で、
それも滑りやすい岩盤にへばりつくように四つんばいになって、
気をつけて登っている最中に起きた。
右手を山では早春の草の根に手を置いた…
クニャっと明らかに予想に反した感触。
蛇がとぐろを巻いて仮眠中であったのだ。
「アッ!?」驚いたら、その四つんばいのまま滑り始め、
ゆっくり滑り落ち…このままだと沢の壁面だけを眺めながら落ちてゆく。
徐々に滑落に加速がつき、視界を広げる為表返しに身体を反転。
途端にその視界に黒い穴倉から伸びている倒木が目に入り、
ジャンプ一閃飛び移った。
その突き出た倒木の枝に、したたかに激突した。
息が止まりそうだったが、足元から望んだ下は家庭風呂の大きさの
真っ暗闇の滝壷だった。
そう思ったら少しくらい苦しい息も我慢が出来た。
この当時は仲間も同行しており、突然のオレの奇声で、見たら…
スローモーションビデオを観ているみたいだと云った。
自然界では常に危険は存在するが、
ある意味においては下界ほどでは無いかもしれない。
狭義の自然界では、
その危険性は自分でコントロールできるものが大概。
問題は畏敬の念を抱かなくなったときに生まれる危険。
即ち自然に対する思い上がりは、往々にして身を危うくする。
謙虚に静かに自然界のおきてに淡々と従うことが
身を守ることなのかもしれない。
その掟に身を置く楽しみは年々歳々、感慨も意識もかわり、
己の年齢を常に意識していないと、ツイツイ無謀な遊山をしてしまう。
魔物が棲むといわれる所以だ。
それも自然界にでなく、実は我がココロのウチに棲んでいる。
無理は禁物と、わかりきった先人の智恵でさえ、
ここでは素直に従える。
若くも無いし、年老いているわけでも無い。
山のブナが自然の摂理で倒れたり、朽ち果てるように、
己でさえその中の一環の生物でしかない。
恐れることは無い、齢を。
要はトライアルの気持ちであろう。
これを無くす恐ろしさを呪うだけである。
ただ淡々と向き合うだけ。
紛失中の簡易ポケットストーブを、十数年振りに購入。
十数年来の付き合いのそれだが見失っている。
沢の水を沸かす。
ほんの個人用の小さなストーブだから、
雨を避ける為、ロシナンテの腹下を借りる。
ドイツ製アルミ合金で、白い固形燃料をただ燃やすヤツ。
尻ポッケに入るぐらいコンパクトである。
したがってそれは何処にでも隠れることができる。
西ドイツ軍採用と、昔書いてあったけど今やそれも存在しない。
シェラカップ一杯で済む分量の湯にはちょうど良い。
約5分ちょっとで水は煮え、そこにインスタントコーヒーをいれて、
その包装袋を丁寧に長くたたんでかき混ぜ用匙にする。
昨夜下界で調達した濡れたサンドイッチを二つ立ったまま、
濃い琥珀色のカップに跳ねる雨の水滴達をミルク代わりに一緒に飲み込む。
メンパ(弁当)は携帯とし、
缶ビールとソーセージ1本を袋に包み、リュックに入れる。
出発を感じ取った彼女等は足元に来て座っている。
口元を眺める犬たちにも缶入りフードを、
濡れて黒いアスファルトに各自空けてやる。
咥えたタバコの火を帽子の縁から落ちる水滴が、
音を出して消してくれる。
彼女等は黒く光るアスファルトまでキレイに舐めて一層きれいにする。
始末を見届け、道路から背丈以上の笹薮をかき分け、沢に降りる。
その渓流の水量は多く、白い泡を立ち上げている。
この雨でも水はそう濁らず透き通り、
沢底が白い色なら何ほどきれいに見えるだろうか。
ブナの森の恵みだ。
途中緩やかな流れの沢面(さわも)をひっきりなしに雨が打ち、
小さな雨のダンス。
彼女等がブナの森の中を移動する音、
渓流の雨にハシャグ流れの音、
ブナの葉にあたる雨の音、
春を象徴する小鳥の鳴き声は…雨で休業か。
もう十数回季節をたがえ、この山深き美しい渓流に来る。
それでも跳ねる雨による沢面をウッカリ勘違いし、深みにはまる。
冷たさよりカメラや弁当が気になる。
彼女等は助けてもくれないが、川幅十数mでは溺れない。
ただ耳の穴に水が入る。
抜けあがって足場のイイ処で右耳を下に右足片肢で立って
何度か跳躍したら出た、水が。
やはり滑稽だ。
ハンティングブーツは水浸し、歩くたびにひしゃげた音を出す。
それでも交互に出すからリズムが取れる。
レインウエアの下はこれを予測してTシャツ一枚だから
濡れたことによる不快感は思ったほど無い。
自然のあらゆる意図の有無に思い悩むことでなく、
あるべき事に対応する。
しかし人間社会ではうまく行った試しは無い。
「沈」で汗もちょうど引き、この遡行には苦にならない。
もともと「魔性の山菜お別れパーティ」にはショートカットしようかと
思わなかったわけでない。
雨のこともあるし…
だがナイトキャンプの場所からいってもこの地しかない。
この春最後の遊山だし、
オーソドックスに距離の長い正面玄関からの入渓に決める。
この沢の美しさは、この拙文では表現しきれない。
かといって素人映像でも表現できないくらい大層な沢である。
目的の会場へアプローチするまでの1/4まで、
沢底が一枚の岩盤で形成されている。
そこを舐めるように水がながれる。
最大で10mほどの滝から1mくらいのいくつもの滝が景観に
アクセントを与えてくれている。
国土地理院1/2.5万にはこの「川」の名前が載っているが、
あの「駱駝の背の滝」は載っていない。
キャンプした道路真下には魚止めの10mほど直下滝があり、
最奥の未記載のその滝も魚止めの滝である。
その間、雪シロで流れ落ちる魚以外大きな形はいないはず。
したがって地理に明るい釣師は入渓しないはずだが、
釣情報誌から飛びぬけ出てきたビギナー釣り師を時折見かけるくらい。
雨の廊下を気持ちよく通過するとゴロ沢が出現する。
滝もあり、撒(ま)いて藪を踏む。
梅雨の洗礼を受けた笹藪は手ごわく、難渋する。
沢辺(べ)リの移動は青草に埋まり、踏み石をも隠す。
彼女等は先を行くが、必ず振り返り遡行を続ける。
彼女等の前足の送り出すポイントは、
彼女等の視界の中で確認出来たとしても、
何故後ろ足2本の置き場所が的確に石の上に乗るか、
聴いて見たい。不思議だ。
雨はまったく気になら無いが、沢の両方崖が気になる。
崩れ落ちたあとも所々あり油断は出来ない。
場所によっては生きたブナでさえ雨や風の洗礼を受け、
根こそぎ葉をつけたまま沢の流れに身を横たえている。
初春の草花は3週間前に花をこれ見よがしに咲き誇り、
そのエネルギーを既に使い果たし、
今やせっせと葉から根に養分を貯えている頃であろうか。
水中花のようなリュウキンカか、水芭蕉、シラネアオイやら
早々たる高原の花々はその姿を緑に変え、
他の植物の中にひっそり息づいている。
わずかタカネチドリが青紫の蘭科独特の小さな花をつけている。
緑の中からクリンソウもくすんだ赤い花をつけ、立ち誇って咲く。
浮石にしがみつくクレソンも花期を終え、
強(こわ)そうだが美味そうな葉を広げている。
そろそろ魔性の山菜は出迎えてくれる。
そぼ降る雨の中、他の植物の中から林立し、
既に眠りにつこうとするものもいる。
かって黒かった大地を緑に染め、
咲き並んでいたそのギョウジャニンニクは、
緑鬱蒼(うっそう)となった今でも、
その独特な立ち上がりだけで判る。
ブナや樺を主体とした落葉樹の下、縦横に彷徨う。
繊細な出会いはグローブや軍手をつけない習性。
突然左の手のひらに激痛を感じる。
支えに掴んだ木がタラの大木である。
見事な太さだ。大きく幾重にも葉を広げ、
これが芽出しのころだったら、と痛さを忘れようとした。
ヒラをよく見るとその大きな棘は突き刺さったまま
埋まっていたという表現か。
抜く時に皮膚の下の肉まで刺激した。
時間がたつと共に左手の中指と薬指が痺れた。
が遡行には差し支えない。
「駱駝の背の滝」につく頃、
雨足も緩くなり今日の出会いをここで終わりとする。
また来年の雪どけまで、しばしお別れ。
滝を見渡せるいつもの大きな岩をカウンター代わりに
リュックから弁当を出す。
もちろんビイルはモルツ・スーパープレミアムだ。
今一番のお気に入りだ。
MSPもこの風景を観るのは最初だろう。
リングを引くと、その証拠に喜びを泡で示してくれる。
なんと単純。
雨の中、滝を背景に立ったままメンパの中を喰う。
彼女等が寄って来るが無視しづける。
何か温かいものをと考えたが、まだ我慢はできる。
痺れ気味のヒラを考え、早い下山に決定。
犬に相談しなくていいから楽だ。
いくつかデジショットを、
撮るには撮ったが雨足が気になり、
メンパと一緒に袋に入れて、リュックにしまう。
今日のアプローチはショートカットのほうが良かったか、
今ごろ考えながら下りはじめる。
雨足は沢面を跳ね渓相を隠し、
緑生(む)す草は浮石を隠す。
注意はしてるのだが、2度目の「沈」をする。
今度はかなり流され足がつかない。
転倒したときか、一応もがいた時か、右手中指を打っている。
リュックが浮き袋かわり。
冷たさも忘れ、引っ掛かりを探し、身を上げる。
カメラや弁当を気にしたが、開封して見る元気は無い。
濡れ鼠ならぬ濡れタヌキか、思わず自嘲する。
雨の中、気を取り直そうと一服…
胸ポッケのタバコはさっきの落水で流されている。
岩魚がニコチンで上がってこないか。
探したが…居ない。災い転じて福を成すって誰が云ったのでろう。
落ち武者の如く沢をそろり、そろりと下りる。
犬だって見ていると時折深みに嵌(はま)っては
ブルブルと身体を振りしごく。
出来ないのはオレだけ。
ブーツ中身の水と足は凄まじい音を立て、
格闘しながらロシナンテにたどり着く。
白く皺皺(しわしわ)のシナビタ手でキーを出し、
ドアを開け、乾いたタバコを出して一服。
雨の中の靄(もや)と紫煙が入り混じる絶妙なコントラストで
満足する。
レインウエアをテコ摺りながら脱ぎ、乾いた着替えに上だけ替える。
彼女等をラゲッジルームに入れ、気付け代わりにウイスキーを一口。
山でのアルコールも道交法違反と時々キツネが言うが、
この褒美があってこそ今日を生きる。
染み渡りながら喉を落ちていく、この快感。
当然無視に決定。そしてもう一口。
元気がついたところでリュックを開け、袋からカメラをだす。
機能しない。水滴がついている。
バッテリーをはずしキャップを空けたままダッシュボードの
噴出し口に置き乾燥をはかることにする。
先を考えないことにする。
曇り気味の車内ガラス窓を拭き拭き運転。
ワイパーの音にも負けない壮大なオペラ歌手ボチェッリの
「romanz」を流す。
最近某ビイルメーカのTVCFにマイ・ビイルを宣伝してくれている。
その泡立つビイルを想像しながら50分ほど下りて休養地に着く。
昨年の夏、萌えるブナとの出会い以来である。
車を止める場所のすぐうしろの樺の繁みの中に
この余った温泉が流れている。
栃川高原温泉休養村と名は大層だが、いつ行っても入浴客はいない。
うっそうたるブナと樺の森の中に、忽然と姿をあらわす施設だ。
山小屋風を連想させる。
街では目立つところに設置されているはずの、
目立たない自販機よりはるかに目立った自販機が、
玄関をふさぐように設置されている。
坂を下りたところに一軒のペンションがあり、
我が相棒たちはそこの住人(?)に反応し、
車の中から吠えて騒いでいる。
猫もいたはずだが…
鄙びた温泉を地で行く環境である。
それゆえに…管理人がいなくなっていた。
さっきの下のペンションで申し込みをするように、
字の下手なオレより達筆でメモに書いて張ってある。
早速また歩いて下りて申し込みをする。
乾いたTシャツの上にまた雨が当たる。
ゴールデン・Rとマウンティン・バーニー・Dが数頭、
あいつらが主か…いや違う。
考えることも面倒になりかけている。
いつもながら優雅といえない姿格好で、
訝しがられないだろうか。
日頃キッチリ(?!)してると余計に気を使う。
快く案内をしてくれる。
その主は小さくて狭い暗い玄関を先に入りカーテンを開け、
昔の映画館の切符売り場みたいな内側に入り、
「300円です」と・・・、なんでもけじめが大切だ。
左手一段上がって囲炉裏ある十畳ほどの部屋。
壁からは外の明かりが縦に幾条も長細く入ってくる。
天井は暗く太い梁が剥き出し、裸電線が延びている。
脱衣所に入るとかっての白いタオル数枚が
褐色がかった色をつけ、壁をタペストリー代わりに。
洗面所には昨年来の蟲のミイラが数匹。
浴場に期待が持てる。
曇りガラスの引き戸を開け…
思いのほか明るく清潔な温泉であることは判っている。
腰壁はコンクリートでその上から天井まで
一枚一枚の木の板を張って屋根裏まで伸びる。
角地の浴場で、大きめの窓ガラスのはめ込み2箇所。
壁板はヒノキではあるまいが温泉としてのせめての矜持か。
畳二畳ほどのタイル張りの浴槽に透明な湯を湛え、
申し訳程度に剥き出しの塩ビ配管のシャワー共用蛇口もあるが、
ひと目見ただけで機能してないのがわかる。
下湯を掛け3杯ほど湯をかぶったころには、
浴室内に白い湯気が立ち上る。
大人気の温泉などに浸かっていると、
よくそのままドボッと入る人を多く見かける。
常に流れては補充される温泉とは言え、
しっかり下湯を使う心配りをマナーとして持たなくてはと、
いつも温泉に入る前の下湯を掛けながら思う。
さらりと透明な湯は冷えた身体を芯から染入るように温める。
湯の噴出し口は塩ビパイプをオレがやるより不器用に
括りつけており、零れ落ちる湯をすくって呑む。
すくう手には熱いが呑むのに程よい熱さである。
味も軽く塩味と硫黄臭、くどくなない味である。
かろうじて短い下肢を伸ばす。
左手の痺れは強くなっており、だが右中指ほどの痛みはない。
左の足の脛に500円玉二つくらいの青タン。
気づかないうちだった。
右目もチクチクして来ている。何処かで突いたらしい。
帰りの高速に多分痛み出すだろう。
捻挫した右中指を湯で揉む音、
左手ヒラの刺し傷による左中・薬指の軽い麻痺を
回復させる為の指の屈伸、ざわめく湯面。
それでもひっそり、湯の音だけが狭い浴場に響き渡る。
喧騒の渓流のざわめきと、雨音が入り混じったブナの森から50分程。
まさに今ここはまったく時空が止まる。
21世紀始めで最後の春の遊山。
これで草鞋終い。
その最後にふさわしい負傷と湯の温もり。
±?!
プラスが勝る。
時折ペンションの住人に反応する我が犬達の吠え声も忘れ、
ひたすらに湯に溶け込んでいく。
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