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■野人徒然録N08■(文中敬称略させていただきます) 魔性の渓谷 しかkしかkし 5月18日土曜、雨含みの曇天。 いよいよ魔性のオフ会である、 とはいっても魔性とは山菜のギョウジャニンニクのことを指す。 ユリ科、主に中部・東北以北の奥深い高山に自生する、 最近富に人気の出ている山菜である。 修験行者が山での修行中、精がつくといわれ好んで食べたことが謂れらしい。 昨今のサプリメントが氾濫する中、あえて呼び名を「魔性の山菜」と勝手に呼ぶ。 したがって、正式和名ではない。 それにその効能に近い霊験には責任はもてない。 ネット仲間が数人、この魔性の山菜に興味を惹かれたらしく、 昨年来からの呼びかけで、結果このツアーを企画。 岐阜のmac3とその助手そして東京のsonetaである。 奇しくも同世代とはいえ、歳の因果ではなく何とはなしに馬が合う…感じか。 岩ガキからマイタケ・ナメコまで同道している。 今回は魔性の渓谷を遡行する。 .それも「極」初級クラスの沢登り、と云っているにも関わらず、 彼らは「魔性の...」という神秘的響きに個々の連想を個々の好奇心で味付けして膨らませ、 この日に備え結構体力作りに励んだ形跡がある。 sonetaを最寄新幹線駅にピックアップに行く。 昨秋、かのナメコ以来の出会いである。 どこでも常に用意周到で、そして丁寧な輩で、 わざわざこの田舎新幹線駅の地図までメールにて送付してきた。 待ち合わせ場所の確認依頼である。 都会と違いこの駅周辺は田んぼも多く、 ここで下車するヒトは少なく、居てもあとは他にタヌキかムジナの類でしょう。 したがって見失う・見損ねることはないと返信。 果たして... 一通り下車客を眺めても降りてこない。 ついには最後まで姿を確認できず、オレは少しうろたえる。 改札の職員が自動改札付近から離れ事務所に戻ろうとする頃、 大きなドラエモン・リュックと大きな紙袋を下げてsonetaが見える。 「ヤァ?!」「ウニャ、ウム、ウンウン?!!!」なんて言葉を交わしたかもしれない。 ロシナンテに乗り込み、mac3隊を迎撃...イヤ迎えるためにとりあえず sonetaを会社(店)に拉致... イヤ合流のため田植えの終った苗そよぐ田んぼの国道を加茂まで走る。 母親に接待を頼む。 sonetaは嫌な顔もせず、年老いた母の相手をしてる頃、 前日妙高泊のドラエモン・カーのmac3隊から連絡が入る。 「何処だ?」「ここだ!」って誠に会話が成立しない。 一同わが店の2階で昨秋以来の顔合わせが成る。 遠来の客に笹団子を母は供する。 大まかなこのツアーの概況説明後、コーヒーも飲み、お隣下田村へと行く。 mac3隊長は自身を広言して憚らぬサユリスト。 昨夏来県の折、ヒメサユリの話をしたら異常なほどの興味を示していた。 そして念願叶い、今日を迎える。 確かにこの花は山野草にありがちな地味で小さい花でなく、 このジャンルに入れるに大きさと色合いにおいて、 花神と最大限の折衝をしたに違いないと思わせるユリ科の花である。 五月雨がワイパーに語りかけ、境の峠を走る。 20分ほどでこの下田村高城という山城跡の麓につく。 前の週に下見をしているだけに、みんなには的確な足回りを提案できた。 ヒメサユリは亜高山種に分類されるらしい。 山形・福島・新潟にまたがる飯豊山塊系の山々に自生。 一部宮城県にも自生とある。 この高城は標高300mちょっと、このような低山にかの花が咲いている数少ない地。 地元住民等が毎年株分けやらをして増やしてきている。 雨の中、ヒトケもあんまり無く静かな散策山道となる。 車止めからスパイク長靴は舗装された林道に音をうるさく上げる。 両脇の低い笹ヤブが見える細い登山道らしき道。 ぬかるみ気味の山道である。気持ちは判るが合成ムシロをところどころ敷いてある。 滑らない配慮であろう。これでまた一つ我々人類は自己危機管理機能を失った。
ポツリポツリとひっそり輝くようにヒメサユリが顔を覗かせる。 雨の雫が淡いピンクの花弁の反り返りに添って、 今にも垂れそうである。 来県組はデジカメを取り出し、撮りだす。傘をさしながら、思い思いのショット。 ロープをまたぎ、近づいて撮る。 後で判るのだが「ロープを越えて中に入るな」という看板があることが。 まだそれをだれも見てないので、縄跳びの感覚でロープを捉える。 他にもロープを見るとそれぞれ認識や捉え方が有ると思う。 これもneo-naturalismである。 不思議と降りてくるヒトも何も云わない。 もちろん後から来たはずのこれから登るヒトも、 その上にある注意書きを誰も見てないので、 きっと学術調査チームくらいに見えるくらい品位があったのだろうと思う。 頂上まで約3・40分ほどだが今回は魔性の渓谷ツアーのため、 昼前には回り鮨にてぱくついている。 雨も止んだり降ったりで彼らは気が気でないだろうが、 そんな素振りをまったく見せない。 腹をマンタンにして、関越高速道に2台は乗る。 ワイパーは間歇にしたりで休まる暇がない。 越後川口インターでR117号に。 美しい水田に、雨で緑増す両側にはタニウツギが満開。 途中明日までのオサンドをコンビニで買う。 津南町から勝手知ったる信州栄村境界の裏林道を駆け上がる。 途中、ウド・イラクサ・ネマガリなど晩餉の菜を収穫しながら駆け上がる。 春は秋と違い、沈むはずの太陽もなかなか沈まず、行動時間が滅法増える。 毎年何回もこの林道を通り、熟知していると思っても、 まったくそれどころでないということを教えてくれる自然。 車中sonetaと口数少なく山菜の話しやら茸の話などしながら、 本日の目的地に変更をかける。 当初最奥の魔性の沢と本流との出合いにナイトキャンプする予定を、 休憩に停車した切明にかえる。本流脇の川原の露天に目がくらむ。 ナイトキャンプの場所を見つけに...大きなブナの下に手ごろなスペースを 今や暗くなった頃確保する。寄れば文殊の知恵とはこのこと。 ドラエモン・カーとドラエモン・リュックからは、いとも簡単に雨除けがなされる。 ナイトキャンプには焚き火が必須。 オレは用意してきた焚き木と18リットル角型空き缶で、いとも簡単に火を起す。 縄文・弥生の人々からみればオレは神の如く崇拝対象間違いないのだが 何のことはない魔法の水をかけただけ。 さすがmac3までも「魔法の水ナイ?」だなんて云いだす。 道中仕入れた飲用魔法の水、缶ビールを開け飲みだす。 さしたる汗もかかずに呑むビールも森では美味い。 行きがけの駄賃的採取の山菜を手元暗い中、ナイフとランプで材料に化けさせる。 今宵はダレカレいう「山菜闇鍋」となる。 ウド・イラクサ・ネマガリ・ヨブスマソウ・豆腐(山には無い)・アザミなど。 鍋に水をいれ、思い思いドカドカ刻んだそれら山菜を投げ込み、 沸騰したら鯖の水煮缶をあけて入れるだけ。 味は味噌。 先人の知恵から学ぶいい例である。 先人の知恵で、こう「知恵」と呼ばれない手法や事象、 いわば淘汰されていったかっての「知恵」もあるのだろうが、 どうあれ知っていてまったく損はない。 そのせいか一同感動して食べたという印象が今もって無いのである。 雨の中、肌寒い中、日常では考えられないような晩餉である。 勢いある焚き火は皆の顔を温かに照らし、思い思いの容器で汁を呑む。 Mac3が妙高でゲットしたタラノメなど山菜のテンプラも、 オレの不首尾でまったく上手く揚がらず、ホウホウの態である。 それでもクレーム一つつけず、ウマウマフウフウって食べている。 気はココロのいい例である。 お腹も温まり、ここへの来がけに覗いた沢べりの露天風呂に一同向かう。 雨も止み、善は急げと切明の川原の湯へ降りる。 懐中電灯が足元を照らし真っ暗なヤブのトンネルを抜けると川原に出る。 対岸の温泉旅館からの落ちこぼれた灯りが意外と延びている。 大小の石に囲まれた溜まり水が闇の中からでも暗く反射している。 いくつかの溜まり水の中にそれはあった。 先客のタヌキ・キツネを追い出し…って訳は無い。 ライトに照らしても湯温までわからない。 しかしカジカカエルが誤って水と思い飛び込んだと思われる場所は さすが温かい、イヤ熱いのである。 気をつけようカジカカエルくん。 かすかな灯りと懐中電灯で我等の湯溜まりを決める。 Sonetaは早々手を差込み熱い熱いの連発である。 オレの長靴ではそう熱くもないのだが、脱いでそれもスッポンポンになって 足を入れたら…熱さと足の裏の石の押上げでいたたまれない。 きっと明るかったらその格好は大いに笑われたに違いない。 温泉道百戦錬磨のSonetaは両手で下流の水を掻きいれる。 水は上から下に流れるのだが…なんとその執念は実った。 オレはゆっくり浸かりながら、掻き入れた水を両足でバタ足する。 Mac3は…きっとこの作業を腕組して監督していたのだろう。 甲斐あってようやく皆が寝そべることができるくらいになる。 夜中の土木工事、それもフリチンでだ。 さっきのタヌキでさえ居たら腰を抜かすだろう、エッヘン。 掻き入れ作業をしないと足元がジワジワと熱くなってくる。 満天の星々とはまったくいかないが、星でも見えりゃこのまま眠ってもいいと思う。 されど野趣は満点。だれも異論はないはずである。 カラダも中途半端に温まり、クルマの寝床に向かう。 鍛え上げたmac3は着るのが素早い。クラーク・ケントを彷彿させる。 ヘッドランプを点け、来た藪の道を歩く助手を置いてスタコラと。 後に続きオレも懐中電灯で足元を照らし歩く。 吊り橋のある作業用道路に着いたら、 オレの後ろに入るはずのsoneta・mac3の助手が居ない。 たった200mくらいの藪の中???? 大きい声のオレの声さえ、沢の流れる音でかき消され届かない。 クマだってさもありなん、と余計な余裕で考える。 オレは今来た道を引き返し川原に出て声をかける。応答なし。 急いでmac3の居るところまで戻り沢側とに藪を挟んで二手に分かれ探す。 たった200mが不思議だぁ。 もっと山側を迂回したのかもしれない。また元の位置に戻り、今度は山側に声をかける。 今探してきた道の真っ暗な闇からライトが2個見える。 紛れもないsoneta&助手である。 何のことはない、道に迷ったとのこと、しかし優しいオレは「たった200m」とは云わなかった。 そう自然界では脛の中程の水深でも溺れることだってあるのだ。 ブツブツとmac3は残念がっているような口ぶりだったが、 安堵の顔を見られたくなかったのであろう。 キャンプ場所に戻り、消えかかる焚き火に薪を追加して、 それぞれ車中で眠る準備をする。 車の窓から揺らめく炎は美しいことをsonetaに説明。 シュラフに潜り、こんな早い時間からの睡眠に感謝すると同時に瞼を落とす。 狭い車内で輩との同衾で、窒息寸前のsonetaは何回か車を降りて徘徊していたらしい。 明日は早朝の本流と魔性の渓谷との出合いで、 お頭つきのイワナの塩焼きをオレは夢を見ていた。 もっともオレは釣は出来ないのだが。 いつかそのわけを話さなければならない。 お魚になったワ・タ・シ〜♪というTV-CFが昔あった。 ヒントはそれだが誰も聴かないので応える必要はない。 朝もやけむる中、目が醒める。 小鳥のさえずりが聞こえるのだが名は知らない。 寝坊気味である。そくさく支度してキャンプ地を後にする。 立つ鳥跡を濁さず。 灰は軒を借りたお礼にと、ブナの根元に撒く。 ありがとう。益々の御盛栄を祈ろう。 林道はいよいよ高度を上げ、目線の山々には湧きいずる雲がたなびく。 標高2千m級の山の峪からは氷河の如く雪渓が道をまたぐ。 もちろん通行部分は除雪分断はされている。 この雪渓はいつもなら8月初め頃まで名残をとどめるが 今年の少雪はいかがなものだろう。 山襞にわずか自生する木々の落とした葉やらは雪渓をまばらに黒く覆い、 その雪渓は本流への谷あいに落ちている。 皆は幾枚かショットを撮り、なおも進む。 本流と魔性の渓谷の出合いに着く。 半分眠気鼻(ネムケバナ)から大きく深呼吸をする。 マイナスイオンが音を立てて肺に送りこまれる。 それが証拠にむせて咳払いをする。 朝飯にまた焚き火を焚く。 残ったテンプラなどと前日下界で調達した思い思いの朝食。 魔性の渓谷に人が入らないか用心深く見守りながら。 立ち朝食を済ませ、第1種装備にとりかかる。 何のことはないカッパを着込み足裾をガムテープで補強、 躊躇する水の侵入を防ぐためである。どんなにスマートなオトコでも これではカタナシであろう。 リュックを背負い、午前7時頃いよいよ魔性の渓谷に入る。 数週間前に比べ、すでに雪シロは峠を越し、なだらかな沢面である。 ブナなどの落葉樹は両脇の切り立つ嶺の木々から葉をつけ始めている。 我々一行は、時折緑覆うトンネルのような沢を遡上する。 地図上では直線距離で2kmくらい、実測は2倍もないはず。 標高差はわずか100m前後くらいであろう。 大小の滝が創られており、目的は「名無しの滝」の上が陸地点。 入渓から両岸は未だ眠り覚めやらぬ草木がひしめき見せ始め、 わずか一箇所、滝を巻く藪コギはチシマササである。 これを簡単に抜けると滑床の沢に突然出る。 コシアブラ・ゼンマイに混じり、黄色い小ぶりな花が出迎える。 薄ピンクの縁取りの白い花のニリンソウも開き始め、 緑の中で自己主張している。 Mac3はそのニリンソウを食べるという。オヒタシにして。 美味いという。 オレは食べたことはない。悲鳴をあげられても困るから。 昨秋以来の本格的この沢の遡行はやはり楽しいのである。 空を見上げれば雲間からわずかの青空が見え、 春紅葉というにふさわしい木々の芽生えがその空に踊る。 はねっかえる水も気にならず、上を眺めては足元を見る。 皆は思い思い語りかけてくる一木一草に立ちどまってはシャッターを切る。 滑床の沢もゴロ沢に変わると峪も狭くなり、うっそうとした森と化す。 歩きにくいながらもマイナスイオン攻撃に耐えている。 さしたる休憩を取らずともこの沢は疲れを忘れる。 これが魔性といわれる、イヤ云う所以である。 小ぶりなギョウジャニンニクも現われはじめ、なおも進む。 のちにmac3助手が確認してくれるのであるが、 前出した黄色い小ぶりな花、リュウキンカという可憐な黄色の花が控えめに咲き、 ニリンソウやギョウジャニンニクとコロニーを創る。 その上を覆う木々が陽射しの陰影をつけ、まさに桃源郷かもしれない。 皆に見せたくなり、近くに居る筈の皆を呼びに行く。 Mac3たちを呼び込んでまた戻ったら…sonetaが寝そべっている。 巨大な花である。ザゼンソウはこの辺では見かけない。 おもむろに彼は起き上がり、皆でアレヤコレヤ写真を撮る。 やはりザゼンソウであろう。 高山植物のシラネアオイもかなりの数を見せ始める。 薄青紫の大ぶりな花である。一属一種一科の花らしい。 時期が早いせいか、あるいはこの地独特なのか1茎1花が多く見受けられる。 他の山域(これより遅い時期)では株立ち気味に幾つも花をつけ、葉だけの茎が多い。 この種すべて成長中は前者かもしれないのだが、 いずれにして1茎1花は断然イイ。 押し迫る森の沢。 既にギョウジャニンニクの群生地に入っている。 前に進むも、後ろに引くも踏まずに歩けない。 プレスリーの「愛さずにいられない」はmac3のオハコである。 しゃれて「踏まずにイラレナイ」って云うと、人のイイmac3は破顔気味。 しかし引きつっていたかもしれない。 間引く要領で大き目を抜き、この一年の菜とする。 絶品は醤油漬け、生のまま。 薬味によし、そのまま肴にもなり、精の程はいまだにわからない。 むしろ自重しなければと勝手に思い込むクセがある。 オレは思い込み強い輩かもしれない。 足元に気をとられていると、突然のように大きな滝が姿をあらわす。 無名の滝、国土地理院発行1/2.5万分にも記載されていない。 だが美しい、ホントに美しい滝である。 数年前初めてこの滝を見たときは荘厳な気持ちになった。 規模といい、水量といい、バランスといい、ブナやカンバの森を2分する滝。 春・夏・秋、この姿を観にきている。 夏は思い切って甌穴に飛び込むこともした。 手足が底にも壁にも触れず、決して快感とは云いがたく、むしろ不気味さを感じていた。 甌穴は柔らかな岩盤に流れ落ちた硬い削り石が停留し、 水量の大小によってその岩盤を悠久の時で、円く深く削る。 実はその削り石を見てみようと好奇心から潜ったのであるが、 やはり野に捨て置け蓮華草ならぬ石である。 とても底まで見る気になれなかった。 仮にこの滝の名をつけるなら「The Fall of Ippuu」であろう。 一風の滝、もちろんオレ所有でなく形容そのまま一風の滝なのだ。 右岸北東向きの崖にギョウジャニンニクは風にそよぐかのように群生。 遅い山桜がそれらを見下ろし、目覚めたばかりのウグイスがさえずる。 皆で大きな岩の上で写真を撮る。 まさに山賊の感がする。 他の植物の芽生えが拡がる前で、黒い地肌に賑やかな滝の音を背景に休憩とする。 一風の滝を登ると、あとはなだらかな沢がまた広がる。 一行の後姿を撮る。 オレは一風の滝の正面から駆け上がる。 水しぶきを上げ、足元を滑らせないよう何時もの要領である。 登った!他愛もない…オレが。 サイズの合わないスパイク長靴のsonetaは痛む足をかばっている。 そのせいか腰も痛み出したのかもしれない。 幸いこの行程で残すは1/6くらい。 魔性の渓谷は名前と裏腹に美しい沢である。 聴かずともこのことは皆が認識したはず。 疲れを忘れるくらいのとてつもなく美しい沢なのである。 流れに口をつけ、この沢の水を飲む。 滴る水は首筋を伝い、一瞬冷たさを感じたが、 あえてこの魔性の沢の洗礼として甘んじて受ける。 知っていれば数え切れない花の群落。 ブナなど落葉樹の緑の覆い。 枯れることのない沢の悠久の流れ。 四季をとわずに訪れたいものである。 残る季節は真冬である。 山スキーも今年から復活、それにスノーシューがある。 除雪最終地点切明から20km弱。 晴れた冬の日にいつかトライアルしてみたい。 上陸地点で前もって駐車しておいたロシナンテに乗りベースキャンプ出合いに戻る。 車中クリンソウの話をした。 Mac3助手が見たいという。 車を止め、緩やかで湿った崖に止める。 Mac3助手は登り始め、ゼンマイも発見して摘み始める。 ゼンマイなら昔とった杵柄と、運転席から他の2人を置いて登る。 そこにどこかで良くお眼にかかるスレンダーな肢体イヤ、山菜を発見。 まさか?!ここへは数回登っていたのだが。 「オオナルコユリじゃない?!」っておもわず声が出た。 下にたむろしてた2人は急いで上がってくる。 Mac3とSonetaはすでにオオナルコユリを、 ヤマアスパラ活ニという同県のナチュラリストから手に入れ知っている。 その彼等が異口同音に「オオナルコユリだ」と教えてくれる。 見れば半径1.5mくらいの場所に大小20本ほど芽吹きを確認。 おおよそ大き目を切り取り今日の宝とする。 Mac3助手がまだゼンマイ採りをしている中、 オレとmac3はぬかるみながらこの一帯を探したが無い。 探すと無い、それがサイフの1円玉であったり、 目当ての山菜やキノコである。 味わいを確かめるべく生齧りする。爽やかな甘さが余韻を惹く。 あまりに上品過ぎる。前出のヤマアスパラ活二は魅惑の山菜と表した。 判るような気がする。魔性と魅惑…なんていい取り合わせなのだろう。 満足しきった我々はBCがある出合いに戻る。 疲れたはずの体を温めに秋山郷へ舞い降りよう。時間は昼前。 7時から入渓し4時間チョットの沢遡行。 谷あいにまた雲がなびき、小雨も降りだす。 急いで軽い着替えで小赤沢の楽養館に向かう。 途中の偉大な雪渓に別れを告げ2台の車はひたすら林道を降りる。 山向こうの中腹にあるはずの昔の林道も今や緑増して見えない。 かっては佐久間象山という儒学者が上州群馬から、 この地秋山郷にやって来た林道である。 いつの世にもスケールの違いこそあれ、好奇心止まぬ人は居る。 山菜もキノコも、あるいは魚介採りも自然界で何か得ようとする行為。 すべて大航海時代の海賊の宝探しや山賊の宝堀のDNAを引いているのかもしれない。 与えられるより、自ら得ようとする真摯で高潔で...やや欲深い気持ち。 活字にすると高尚な気がするが、 実際はただの食い意地という事をカモフラージュしているに過ぎない。 そう、食い意地がすべてである。
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