三条六角凧 | 凧合戦 | 凧日記 | Links |
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三条では凧のことを「イカ」(紙鳶)と呼んでいます。 「イカ合戦」の起こりは、江戸時代の慶安2年(1649)に、村上藩の陣屋が三条に、設置されたとき、陣屋の子供たちが揚げる凧をみて、鍛冶屋の小僧たちが遠くから、姿を見せずに、高く揚げた凧で糸を繰り挑戦して、空中で相手の凧糸を切り、凧をたたして(飛ばして)、日頃のうっぷんを晴らしたのが、始まりであるとされています。 それから、次第に凧も大きくなって、何時となく町内が結束し、凧組を作って争うようになり、ついに全市をあげての大凧合戦に発展しました。 三条の六角凧は、「SANJO ROKKAKU」と、日本語でその名が呼ばれて、全世界に知れわたっています。 また、三条市は、世界の六角凧発祥の地としても有名です。 |
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マルコーニの大西洋横断通信実験 無線通信の父マルコーニの大西洋横断通信実験(1901年)で、アメリカ大陸側で受信アンテナが嵐によって破壊されたため、強風の中、急遽アンテナを高くあげるために六角凧が使われました。 凧を揚げるべく準備をしているエッチング銘板がカナダ・シグナルヒルにあるそうです。 |
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参考文献:日本アマチュア無線連盟(JARL)
機関誌 JARL NEWS '94 Sep. 「無線百話(マルコーニから携帯電話まで)」 クリエイト・クルーズ発行 「モールス通信」 CQ出版社 |
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参考リンク | Signal Hill is a Newfoundland icon Kite Aerial, Signal Hill. VISIT HISTORIC SIGNAL HILL NEWFOUNDLAND シグナルヒルを検索 シグナルヒルへの地図 |
毎年6月第1土日、五十嵐川河川敷で行われます。
20余の凧組が川上、川下に分かれ、空中で糸を絡め、相手の糸を切るか凧を先に落とすか、
で勝負が決まるという勇壮なものです。
平成九年度成績表
平成13年度成績表
「カラ」を使っての合戦の様子(旭組) 田島橋より合戦場を望む、右奥に粟ヶ岳
三条六角凧に関する語録 久保
敏男
Sanjo Rokkaku battle Taru and Taiko "tarutaiko219.ra"
45 seconds 219kbytes
Sanjo Rokkaku battle Taru and Taiko "tarutaiko.wav" 45 seconds
964kbytes
---Old days photo---
Around 1900 (Meiji period)
Around 1900 (Meiji period)
Around 1925 (Taisyou period)
Around 1930 (Early Syowa period)
Around 1990 (Heisei period) Lady's Team "Komachi"
1996 (Heisei period)
第13回内灘町世界の凧の祭典2001 | ||||||
ゴールデンウィークの中日、金沢市のお隣「内灘町」へ北陸道をひとっ走りして、凧揚げを楽しんできました。詳しくはここをクリック | ||||||
井の中の蛙のさんじょもん(三条者=私)には、良い勉強になりました。 | ||||||
イカ合戦が終わると、小学校の凧揚げ遠足のお手伝いに行くことがあります。 子供たちが製作した凧を、総合グラウンドなどに行って半日凧揚げをして遊んでくるのです。 我々は、ハナオ(糸目)のたて方が不十分でなかなか揚がらない凧を手直しをしてやるのです。我々が合戦で揚げる大きなイカと違って、子供たちのイカは微妙な調整が必要でコツを会得しないとバランスが取れずにくるくる回ってばかりになります。 私も30枚ド、50枚ドのイカは容易に調整できますが、5枚ドとなると調整に時間がかかってしまいます。 過日、幼稚園の父親参観で、イカ観戦場まで子供が作った凧を揚げに遠足に行きました。教材屋さんから購入したものを子供が絵を書いて組み立てたもので、本当にうまく揚がるのか不安でした。 案の定、凧はくるくる回ってばかりで、揚がってくれません。悪銭苦闘の末揚がるようになった頃には子供は凧揚げに飽きてしまったようです。 先生の凧もうまく揚がらず、苦労されているようでした。そこへ同行の写真屋さん(60代かな)がチョチョイノチョイ!とスーッと揚がるように直してしまいました。先生方は喜んで拍手喝采でした。 そうなんです。昔の三条っ子は誰でもイカを揚げて遊んでいて、イカの調整なんて朝飯前なのです。 しかし、現在の子供たちの親である30代40台のお父さん方はどうでしょう。多分多くの方は揚げられないと思います。 イカ揚げも一つの技術だと思います。技術というのは継承されずに途切れると、以後再生しようとしても大変な努力労力を必要とすると言われています。これは地場産業にもいえることで、後継ぎの無い町工場も多いのです。今後の産業を考えると暗い気持ちになってしまいます。 三条と言えば鍛冶屋で有名です。子供の頃、路地のそこ此処から、ハンマーなどの音が聞こえていました。 三条鍛冶集団では毎年鍛冶道場を主催され、県内外から多く参加者があると聞いています。 そんなことを思い巡らしていたら、迷案を思いつきました。 「三条っ子養成講座」です。鍛冶道場入門、5月15日の三条祭りの大名行列参加、そして六角凧製作教室を行い、この3つを修了した人には「三条モン(者)認定証」を発行するのです。イカに詳しい三条モンがまだまだ元気なうちにこのような企画で伝統を継承していくのはいかがでしょう。凧の歴史などに詳しい方もおられます。 これらを合わせれば、三条の特色が生きてくると思うのですが...。 参加者はいませんかね。50代以上は「あたりめぇ」40代以下は「ダッセー」で終わるでしょうか...。 モノとモノとがつながると新たなる価値が生まれます。とえばパソコンとパソコンが繋がるようになってインターネットが始まり、大きな価値を生んで現在に至っています。三条も特色をうまくつなげあって生かしていくことは出来ないものでしょうか。 (六角凧をいうときはイカと表現しました。) |
新潟三越で、函館、青森物産展があり、イベントの一つとして創作凧の第一人者梅谷利治氏が函館よりいらっしゃるとのこと。日本の凧の会アマチュア無線クラブの村田さんから連絡を頂きました。以前、「創作凧 梅谷利治著」のCD-ROMを村田さんから分けて頂いていたこともあり、興味津々で出かけてみました。 三条では、イカはイカ屋から買うもので、ほかの地域のような自ら製作してイカ揚げ、イカ合戦に挑むことはまれなことと思います。(特に大町組景清はそうなのかもしれません。) 三越の入り口には、小さなねぷたが出迎えていました。なんと、絵柄は「景清」ではありませんか。これも何かの縁なのでしょうか。ほかを見たがっている家族をせかして、7階へまっしぐらに進みました。案の定、会場は物産目当てのお客でひしめき合っていました。 梅谷さんが手にしているのは、普通の凧と違って、鯉は泳ぐように、牛は跳ねているように、動きながら空に揚がるのだそうです。 |
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このページと直接関係ないですが、ROKKAKU.NET が立ち上がりました。とりあえずイカ合戦の簡単な情報を載せてあります。i-modeでもご覧いただけます。http://www.rokkkau.net |
どうして凧を三条では「イカ」と呼ぶのか。 本来は「イカのぼり」「イカ」と呼ばれていたのだが、イカが原因で喧嘩が絶えなくなってきたので,1655年に幕府が「イカのぼり禁止令」を出したのだそうです。 そこで江戸の洒落者が。「これはイカではない、タコだ。」と言って揚げ続けたので、それから世間では「タコ」と呼ぶようになったのだそうです。 三条は上方(大阪)との結び付きが大きく、イカのぼりは関西が源でもあり、イカという言葉が残ったのではないでしょうか。 (BSNラジオで須藤イカ屋さんへのインタビューから) |
この凧日記に登場させていただいた「哲ちゃ」が亡くなられた。あっけなく家族の留守中に一人で逝ってしまった。 私が幼少の頃より、会えば声を掛けてくれていた気さくな人でした。 何よりも凧合戦が好きで、消滅していた組を復活させ、たった3人で優勝した事をいつも聞かされていました。 だから私たち若手にハッパをかけ、隣の町内である永遠のライバル上町組を破り総合優勝するのが夢でした。 平成10年の合戦終了間際、相手の糸を切り3点獲得かと思われたが、合戦成立が終了時間後と判定され上町の後塵を拝してしまったのです。 その後の慰労会で「哲ちゃ」の一人流していた涙は忘れられません。この齢になっても悔し涙を流せるほどの思い入れがあった事は、私も受け継ぎたいと思います。 平成13年、我が組は、技能賞を獲得。優勝のみ、と拒まれたが、不甲斐ない我々のせめてもの実力の証として額に入れて自宅に提げさせて頂いた。 |
・平成13年以来の、三賞殊勲賞を受賞。 順位は赤組3位の清友会と同点で並んだが、糸の切断数で負けて、第4位。 ・しばらく低迷していましたが、上昇のきっかけを掴み、皆晴れ晴れとした表情でした。 |
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・昨年、水害があり、合戦場のある五十嵐川の河川改修により、三条・燕総合グラウンドで三条凧合戦が開催されました。 ・多数の人が被災した中、三条凧合戦も会場を変えざるを得なく、多大な苦労がありました。 ・少しでも皆さんにがんばってもらおうと、木札を作り配布しました。大変好評であっという間に在庫が無くなってしまいました。第2弾を製作という話もあり、アイデアがありましたらお知らせ下さい。 |
伝統の大町組だけあって、宴会ではいろいろな昔話が聞かれる。 今回は、大町の応援応援歌である。 野球や何かと歌われたらしい。 ゼロから作った物ではなくて、北海道 函館商業高校の応援歌「五稜ヶ丘」の替え歌である。リンク 同校OB元応援団長の青戸氏が、即興で替え歌を作ったのだそうだ。 |
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たこ、凧、カイトでまちおこし
月刊 地域づくり1月号
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